思考力

磨く手間を省くために

コロナの問題。ウクライナとロシアの戦争問題。それによる円安の問題。老後2000万問題。大物芸能人の自死。なかなか日本の最新情報には、ネガティブワードが散りばめられているが、ここまで現実味を帯びた情報になると、仮に情報断食をしていたとしても、国家の事態は深刻化していることがわかる。このままでは、自分の靴を隠されたのに犯人が見付からず、先生が総力を上げて犯人を捜し出そうとしたら、クラスメイト全員が犯人で、自分の居場所がいつの間にか消えていたという状態に陥ってしまうのかもしれない。

生きている価値とはなんだろうか。これは非常に難しい問題である。そして、あらゆる生き物の中で、この問題に対する解答を出そうと苦心しているのは、人類だけ。これを、生物学的な進化によるものだと片付けられるなら話はシンプルだが、思想とか哲学的領域に話が入り込んでしまうとタチが悪い。そしてそれは、やがて宗教的な領域に入り込み、抽象的な解決できない難問として、人類に襲いかかってくる。そこに宗教的対立などが起こって、戦争につながるパターンだってある。もしかしたら、現在起こっている問題の全てが、この問いの中に含まれるのかもしれない。

今、私の生活は、経済的に非常に困窮しているのだが、これもいつかは終わりが来るはずである。ただ、この「今」だけを考えると、手放さなければならない物が多くあり、それを手放して金銭に変えなければならぬ程の状態である。昔、私は一行だけ名言を書くことを日課にしていたのだが、その中に、「手放せば、磨く手間が省ける」という一行を書いた。手放すということを、今認めなければ、現在の世界の状況と同じような危機にぶち当たってしまいそうだ。先日のブログで書いた、大切な物も売却してしまった。もはや、苦肉の策である。

いっそのこと全てを売却してしまいたい。ただ、まだ「死は解放だ」とまでは考えられないし、誰かを暴力で支配しようとか、もう一回コロナになってもいいと言って密の中に突っ込む事はしない。このように、生きる意味というのは、自分なりに考えた境界線の中で動くということ。その境界線というのは、自分の中で、どうしても手放すことができず、処分できずにいる物事であると言えよう。やはり、危機的状況で考えるリアルな問題というのは、人間の本能的な問題や理性で抑えている問題に直結するようだ。

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