思考力

幸せの謎

今夜から明日の朝にかけて、千葉県では大雨になるという予報。明日は、急遽、東京の病院へ行かなければならぬほど、具合が悪くなってしまったので、交通機関への影響が気がかりだ。そんな中、もしかすると明日の朝にドタバタして、ブログを書けなくなるのも怖いので、久しぶりに前日に書く「フライングブログ」としておこう。

東京の病院へ行くほど具合が悪くなってしまったのは、例の依存の離脱症状がひどいからだ。すぐにスリップするというか、もはや落ちているのか上がっているのかも分からぬ状況。ウトウトと昼寝をすれば、売却してしまったサーフボードの夢を見る。今、リサイクルショップにウェットスーツを売却しようとしていたら、売却したサーフボードが、3倍程の値がついてディスプレイされていた。もはや、買い直せる値段ではない。ウェットスーツも、二束三文の状態だったので、やはり売却は却下しつつ家路についた。

今、かなり強く雨が降り注いでいる。リサイクルショップの駐車場では弱い雨だったが、今はかなり強い。このまま、今夜未明までは、雨足はどんどん強くなるという予報。これ以上、リサイクルショップで、自分の宝物を粗末にするなという暗示なのだろうか。ただ、自分が生きる上での生活費というのは確保しなければならず、いざとなったら、今キーボードを弾いている愛機MacBookも手放さなければならなくなるだろう。それだけは避けたいところだ。

幸せとは何だろうか。よく言われる「年収700万前後」が、幸せのラインのようだが、それ以上でも以下でもない経済的余裕という面においては、極めて妥当な金額だ。では、経済的な観点からではなく、自分自身に対しての幸せの価値観というのは、一体なんだろう。例えば、過日、お亡くなりになった芸能人は、他も認める大きな才能と素質を持っていながら自死を選んでしまった。そもそもの幸せの正体というのが実態としてないのだから、やはり、幸せの基準というのは、個人の価値観次第であると言える。

世は、私のような請求書と督促状ばかりが郵便受けに届く輩もいれば、どうしても乗り切ることのできない「幸せの基準」に迷うばかりで追い詰められてしまう人もいる。どちらにしても、いや、どのような立場であれ、自分なりの基準を見据えていなければ、虚構の幸せに埋没してしまう。やがて、その嘘が実体化したり、何かの拍子に跳ね返ってきたとしたら、自分を限りなく深い窮地に追い込むことになろう。朝と同じようなことを書いているのかもしれない。ただ、確実に言えることといえば、生は謎に満ちているのだ。

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