思考力

譲る

譲る。色々なシチュエーションで遣われる言葉だ。例えば、電車で席を譲るとか、困った人にお金を譲るとか、優先権を譲るなどなど。使う場面は、様々でありつつ、何かを相手に心を込めて渡すというニュアンスは変わらない。最近では、コミュニケーションの場でのシチュエーションに関する書籍が多く出ているが、会話をするときには、話題のイニシアティブを相手に「譲る」ことで、コミュニケーションが円滑になるというテーマの本もあるくらいだ。

前振りが長くなったが、昨日、釣りに行った時の出来事。平日の悪天候ゆえ、釣り人も少なく、釣り方がサビキ釣りということもあり、私も特段忙しく動き回ることもないまま穂先を見つめていた。そこに両親と小学校に上がる前の子供になろうか、3人のファミリーが、隣に入ってきた。あまり会話もないまま、穂先はなかなか曲がらない。釣れたとしても、鉛筆くらいの長さのイワシ。ファミリーには全く当たりが来ていなかった。

防波堤のサビキ釣りの王者は、大きなアジなのだが、私の竿が大きく頭を垂れた。大きなアジである。昨日は、釣り場全体の活性が悪かったので、その中で数匹のアジを釣り上げた私には、周囲からの労いの言葉がかかってきた。これは、釣り人の大きな喜びの一つである。隣のファミリーには、相変わらずヒットはこない。こうなってくると、子供の集中力は切れ、帰りたいオーラが丸出しになる。

ピュアな男の子だった。少しシャイな感じの無垢な男のことでもいおうか。再度、私の竿が大きく曲がる。少し巻いていると、子供と目が合った。是非釣り上げてもらいたいと思い、竿を渡した。グイグイと引っ張られる竿を私が支えながら、力一杯、リールを回す。一生懸命というより、何が起こっているのか頭が真っ白になっているようだ。私が、初めて黒鯛と闘っている時のような感じの表情。おそらく、胸の鼓動は高まりすぎて、興奮を表情にすら出せていないようだった。

魚が、海面に顔を出して暴れている。桟橋から竿を持ち上げようとも、背が低いのと、力がないのとで、魚が上がらない。次の瞬間、バチンと針が切れてしまった。子供の顔は、硬直したまま。ご両親は、興奮したまま笑っていた。その時のそれぞれの心の状態は、どうだったのだろうか。また、仕掛けを投入しながら、考えていた。すると、すぐさま私の竿が大きくしなった。回遊魚らしいテンポ。アジだ。

軽く合わせた後、また子供に竿を「譲る」。今度の戦いは、海底から引きずり出す長期戦。思いリールのハンドルをグリグリと回す。子供の表情は硬直したまま、歯を食いしばることも忘れたまま、ぽかんと口を開けて熱心に曲がる穂先を見つめている。魚が顔を出した。海面で大暴れだ。引き抜きは、母親に託し、一気に魚を抜き上げた。大きなアジが桟橋の上へ横たわって暴れていた。このような渋い釣果の中で、貴重な一匹で合った。ここで、私は、竿ばかりでなく、アジを「譲る」ことにした。なかなか考えられない贅沢なものを譲った。家族は、大喜びであった。

その後、一気に天候が崩れ、そのまま帰宅しようと思った。荷物を片付け、帰ろうとしたときに、「僕たちももう帰るよ」と言って、満面の笑みでこちらに走り寄ってくれた。子供は、自分のシャイな性格を抑えつつ、笑顔を「譲って」くれたのだ。この時の微笑みは、最高級の贈り物であった。譲ったものが、違うものになって返ってくる。まるで「わらしべ長者」。私は、彼の気持ちが、とても感慨深いものと感じた。彼は、魚を釣り上げたことがなかったというので、昨日は、人生で決して忘れられぬ日になろう。

私は、かつて、同じようなことをした。竿を「譲った」のである。10年ほど前だったか、私の大きくしなる竿を、未就学児らしき子供渡し、竿が絞り込むような引きをした後、大きなメジナが釣れたのだ。彼も、魚を釣り上げたのは初めてだったという。その後、その子にとって、釣りというスポーツはどのような位置にあるのだろうか。それから釣りに強い興味を持ったかどうかは分からぬが、少なくとも、その日の出来事は、彼の心に鮮明な記憶として残っているに違いない。私は、そのようなお役立てをできたのだ。

昨日、たまたま私のブログの読み上げ動画を聴きながら眠った。久しぶりだった。それは、札幌旭川のイジメによる凍死の事件の記事だった。本当にたまたま自分のYouTubeにアップされた、その音声を聴きながらの睡眠導入だった。そこで、私に釣りを教えてくれたオジサンの話も盛り込まれており、その体験は、鮮明に私の心に焼きついている。やはり、初体験というのは誰にとっても重く貴重なものとなる。

釣りばかりではない。すべてにおいて、新しい体験をするというのは、素晴らしい宝物のコレクションが増えるということであり、どんな年齢であれ、常に心をオープンにしていれば、いつだって新しい自分を作り上げることができる。「譲る」。この行為の尊さを、心に染み渡るように体験させてくれた一日であった。こんなに喜んでくれたのも久しぶり。帰りの車の中では、終始、幸せな気持ちでいっぱいだった。ありがとう。

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