思考力

”No コロナ, No life”

 

不安とは一体何なのであろうか。自分の心がぼんやりと揺れ動く。芥川龍之介風に言えば、「ただ漠然とした不安」に、敏感な人間は反応してしまうのかのしれない。ある物を創作するとき、それが流れ作業でできるような無味乾燥な商品ではなく、自分の全身全霊をかけた魂の産物であれば、その完成に至るまでの不安というのは、なかなか拭いきれないはずである。私が、今、この瞬間に描いている文章であれ、やはり「論証責任」という厳しい制約の元に書かれていなければならない。そうでなければ、ただただ文字が並んでいるだけの模様にしかならない。

そのように、ある物事を遂行するときに生じる「不安」という感情のような掴み所のない心の様子に、現代人は、特に影響を受け易い。それは、昭和の文豪が苦しんでいた「アポリア」「対立感情併存」などと同じような苦しみになって襲ってきている。まさに、「現代病」だ。”No pain, no gain.”"No challenge, no success."など、何かの痛みやリスク、挑戦などの勇気がなければ、得るものや成功というものはない。ただ、それが行きすぎた状態になると、まさに、脳や人格にも影響を与えるほどの大きなバグが起こってしまう。

環境や人間関係によって、個々の身体的・肉体的状態というのは、大きく変わってくる。例えば、ブラック企業で働きながら、じりじり刻みで上がっていく社会保険税をノーガードで獲られ、それをまたどんどん増税される消費税で徴収されれば、誰だって人格が変わるほどのダメージが起こる。私などは、会社員からフリーランスになった今でも、この点に関しては、ホッと胸を撫で下ろすこともある。難破寸前のボロボロの船に乗り続けていれば、こちらのみも心もズタズタになっていただろう。

今日は、太平洋側に日差しが届く。そんな小さな喜びも束の間、マスクの下で顔を歪めながら、満員電車に揺られて通勤。早く起きて日光を浴びて「ビタミンD」を体に取り入れる余裕くらいは欲しい。そうでなければ「うつ病」確定コース。少なくとも、日光を浴びたり、せめて今日から向こう1週間の天気を知るくらいの余裕はなければならないと思っている。ネカフェに寝泊まりしている人たちは、その日に路上で寝るか否かという違う意味で天気を心配しているのかもしれない。この選択に、ゆとりがあるのかどうかは、個人の価値観次第だ。

今回の日本のコロナの入国禁止の措置は、異例の早さだった。いつもは漠然とした不安の渦中に、国民は苦しみ悶えていたのだが、今回の総理の英断は素晴らしい。このように、見切り発車のタイミングを、自信を持って下せる人こそ「リーダー」である。”No コロナ, No life”。今は、入国制限されてしまった人には申し訳ないが、ひとつの日本の変化の一歩だと思って、容認してもらいたい。

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