思考力

両立し難い二つの対角線にあるもの

 

昨日は、夕方くらいに就寝したのだろうか。あまりよく覚えていないが、ついさっき目が覚めた時間は、深夜0時を少し回ったところ。風呂に入りながらの風呂のカビ取りやら、このまま釣りに行くか波乗りにいくかとか、いろいろ考えているうちに、ブログを書くことを選択肢に入れていないことに気づく。この作業をすれば、とりあえずソワソワした中途半端な夜をやり過ごすことはできる。ナイス判断だ。

とは言え、やはり多少の疲れは残っていて、なんとなく眠気が残る。ブログの手書きの原稿を作るときのYouTubeのネタの仕入れに関しても、11月のJAZZやら、ディープスリープやら、1日の終わりに聞くべき睡眠音楽、雨の中での癒しの音楽などなど。ずらりとヒーリングミュージックが並んでいた。自己啓発的な内容のサムネイル が並ぶこともあれば、このように無意識のうちにセンチメンタルな心を鎮めよというメッセージが流れてくることもある。もはや、AIは私の心の状態を、私より見抜いているようだ。

人生を良くするために大切なものの代表格は、やはりお金であろう。これを否定すると、結局のところ「理想論」のワンダーランドな世界の話に終始してしまう。やはり、客観的データに基づいた「クールな側面」からも、物事を考えていかねばならない。ただ、自分の私利私欲ばかりを目指すがあまり、友達について全く考えなかったり、格差社会を一人勝ちしようという考え方も問題があろう。お金と友達の付き合い方のバランスをとりつつ、覚悟を決めて人生を改善させていくことは、多くの労力と忍耐力も要る。恥を書くことだってあるかもしれないし、お金から発生した友達からの関係の中に、実際は裏切り者であるかもしれないような人を味方につけようとしていたなどという矛盾も生じてしまうかもしれない。やはり、お金と友達というのは、両立させるのが難しい対角線の上にあるようだ。

毎日を完璧に過ごせる人なんてごくわずかだと思うし、何を基準に完璧だと言えるのかは、人それぞれである。楽観的な人の視点と、そうでない人の視点が同じ尺度で対象を捉えられないのと同じく、ここを誤魔化して自分の視点をぶらせてしまえば、物事の達成を根本から見誤ってしまうことになってしまうはずだ。最近の電車内での刺殺事件や、議員の無免許運転での過失などなど。人生の場面場面で生じる事柄に対しての責任においても、やはり「幸せの基準」が、各個人の中で、ぶれていることが引き金となっているのだろうと思う。

貯金が数千万円あっても、不幸と考えたり、そのことを揶揄する人だっている。また、周りが年収300万円で、自分が年収500万円ならば、経済状況に関しては、周囲から一歩先に出ているとも言える。やはり、今ブログで述べたように、お金と友達の相関関係というのは、今後も考え続け泣けなければならないテーマであると秋の夜長に考えている。

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