思考力

個の空間のトーク

 

昨日は、コロナワクチンの1回目の接種を受けた。副反応が出る確率が高いのは、2回目だと聞いていたので、それほど心配はしていなかったが、やはり接種前は緊張するもので、呑気にスマホをいじっているヒトの気持ちが理解できない。接種前と接種後の注意事項の紙を熟読し、念には念を入れて、接種後はとにかく安静にするよう決意していた。少なくとも「15分」は、座って様子を見なければならない決まりだってあることは事前に知っていたのだ。

ただ、現在のところ、私を完膚なきまでに叩き潰してくれた御礼として、某会社を相手取って行政の力を駆使して責め続けている最中なので、注射を打ってから、待機用の待合室で、15分後に帰宅して良いのに、30分以上もの間、労基に提出するための書類を、スマホで作成していた。結局、院内でスマホをいじっている他の人と、あまり変わらない結果となってしまった。

もちろん、その後も安静にしなければならないことには変わりはないので、毎日の日課となっているスケボーでの散歩も、30分間程度の「爆汗垂れ流しインドボードスクワット」も自粛した。飲酒も控えなければならないようだが、本格的に酒を呑んだのは、もはやいつだったのかも思い出せぬほど、酒とは縁のない生活だ。それに、引越しを境に、一切の外食を控えており、冷蔵庫も断捨離したついでに、日々の食生活も非常に簡素な物となっている。

中田敦彦氏の動画で、彼が念入りに呟いていた「納豆•キムチ•豆腐」「納豆•キムチ•豆腐」「納豆•キムチ•豆腐」「納豆•キム…。の呪文が印象的だったので、それらを中心にしつつ、昔買ったプロテインに、スーパーや薬局で安売りになっている健康食品をブチ込んで、シェイクして腹に入れる。今の私にとって、もはや味などはどうでもよく、財布と健康に優しければそれで問題ないと思っている。

インドボードで鍛え上げた足腰でスケボーに乗れば、思いっきりカラダを吹き飛ばそうとする地球の重力を押さえつけるだけの筋力は十分ついているわけで、こんなに質素な食生活が続けば、自ずと体は引き締まってくる。ダイエットを決意したときに絶望しないよう、スタート時の体重は測っていないのだが、今や、ベルトなしでオンラインの授業をしたら、まだ制服を着なれていない中学生のように、ワイシャツが後ろからハミ出てしまうほど。次の東京での病院の受診の前日に体重を測ろうと思うのだが、今度は逆に楽しみである。

そんなわけで、今宵も眠れぬ夜にブログを作成しているのであるが、これはワクチンの副反応とは無関係。いつものことだから、全く心配していない。今日、運動をしていないから、カラダも疲れていないということを教えてくれているのかもしれない。また、ワクチン接種の日ということもあり、途切れ途切れであれ、前日に長めの睡眠時間をとったこともあり、眠れないのも当然といえば当然か。

では、運動をしないで安静にしながら何をしていたのかといえば、やはり、YouTubeの閲覧である。断捨離してもしなくても、もはや遊び道具は、スケボーとインドボードくらいで、サーフボードも今はインテリアのオブジェと化している。釣りは、コマセを買う金も、現地へ向かうガソリン代もない。サーフィンと釣りに関しては、改めて金のかかるスポーツだと実感する。

それに対して、YouTubeは、金がかからないで、自分の好きな情報を、全くの無料で入手できるわけだから、こんなに世界を一変させたプラットホームも、なかなか無いと思う。そして、いろいろと検索したり、オススメされる動画の中、いつの間にやら辿り着いたのは、「上岡龍太郎」氏が、1時間程度だったか、独りで喋り続けるという動画だった。トークの天才として、私が尊敬してやまない、島田紳助氏が「師」と崇める、上岡氏の独壇場のトークを視聴して得られたことは、思いの外、深くて広いものであった。

テレビが、白黒からカラーへ移行したことが当たり前となった時代に生きている人たちを、「若者」と表現しているくらいだから、昭和の高度成長期後半あたりか、そのバブルが弾けるかどうかの境目に撮影されていたものだろうか。上岡氏が、殺風景な暗いスタジオの中央にポツンと座り、1人で1時間以上ものあいだ、一方的に喋るのである。しかも生放送。観客1人としていないわけであり、これは相当な実力どころか、この状態で実りある情報を十分と喋り続けられる人は、当時の芸人の中でも、ほんの一握りと言える。

上岡氏の右側には、ブラウン管の箱型のテレビが置かれており、その箱、つまり、テレビが世を大きく変えたということを熱弁していたのだ。上岡氏が若いときに得られていた情報の媒体手段というのは、ラジオ放送が中心であり、テレビが白黒からカラーになったことそのものに驚き、そのテレビの性能と今後の可能性を説いている。現代に生きる我々にとって、テレビは、さんざん叩かれており、まさに「時間泥棒」のような扱いを受けているというのに、これからテレビ全盛期を迎えようとしている時代の彼の発言を聴くというのは、なかなか意味深な話であった。

当時には、インターネットなるモノが普及するなど、世界中の誰もが予想できなかったことであり、テレビのチャンネルの奪い合いで殺人事件が起こるような時代。もちろん、スマホの閲覧履歴を見られないようにロックがかかるなどという逆転現象が起こることだって、予想だにできない。机には、山積みの書類が散乱し、恰幅の良い腹に葉巻を加えて酒を呑み、大量のモノを持つことが成功のステータスとされていた時代からして見れば、現在のビジネスパーソンが、日が昇る前に起きて、ゴリゴリのマッチョになるほどの筋トレをして自分を追い込み、大量のモノを断捨離をしつつ、1日1食をしながら生活をすることなども、予見できることはなかっただろう。メディアの情報を手に入れるプラットホームが変化すれば、そこを起点として価値基準が変化するということを理解できるような面においても面白い動画であった。

では、現代から見た、20年後、30年後の世界が、いかに変化していくのかを考えるのが、当然のことながら一流の人が考えるべきことである。確実に言えることとしては、通信速度が”5G”の流れに乗っかって一気に加速し、第4次産業革命に向かって進む際、自分の発信する情報を、より充実させるものでなければならないということ。つまり、高速で動きつつ、複雑に錯乱する情報の中で、自分の発信する情報に、受信者側へ貴重な価値を見出してもらわねばならない。

かつては、NHKの1チャンネルから、民放の12チャンネルまでという限られた選択肢から選ぶしかなかったテレビというプラットホームからの情報を、これからは無限の個々人が発信する情報が、無限の受信者に届き、受け取る側であっても、その重要性をキチンと取捨選択して受け入れることになる。それをどのように活用するか否かの責任は、自分次第。言うなれば、いかに自分の時間という「資産」を守れるかということが重要視される時代となるだろう。有限の人生の時間の中ということもさることながら、信頼できる情報にたどり着くスピードを上げ、自分の発信する情報に価値を持たせられるように、自己の発信力と価値と正確性を高める必要が出てきたのだ。

これからベーシックインカムが導入されることが避けられないような世の中で、いかにして自分がそれを受け取らずにいられるかということも問題であり、自分が稼いだ収入の多くが、税金として吸い取られ、ベーシックインカムの財源となることを、どう考えるか。これを不当と考えるのか、善なる行為と捉えるかは、あくまでも個人の価値観だが、政府の税金の使い方を考え、それがベーシックインカムとしてリンクしているのかどうか、また、他の分野に対してであっても、本当に実り有る使われ方をしているのかを、常に注視すべきだ。これは、納税の義務を果たしている日本国民なのであれば、当然、意識しておかなければならない。

最新ニューストピックのYouTubeのコメント欄には、いろいろな意見が転がっている。昔は、抗議する手段としては「電話」という手段くらいしかなかった。あえて付け加えるなら、手紙や葉書程度。しかし、今は、全く違う。タップして書き込みをすれば、それが自分の意見として反映される時代。そして、それが便利になった反面、その発言自体が証拠となり、そこには強い「論証責任」が生じる。昔の番組を見れば、今では炎上するようなことを、民放の地上波で普通に行われていた。タバコを吸いながらトークをするなども、今では考えられない。やはり、省みれば、その時代の変化をつくずく感じる。

インフルエンサーの発言やツイートが、一瞬で着火し炎上する時代。しかも、それは消せない黒歴史となって、それから先の人生までもが変わってしまうような時代。かつてから、自分の発言には注意を払わなかったのは当然だが、証拠対証拠の時代が変化しないまま、その証拠を隠蔽することができない時代となった。すると、フェアな側面もあれば、残酷な側面も併せ持つ「両刀使いの時代」になったとも言える。発信者としての強い責任感と、高い意識を保ちつつ、その発言内容にキラリと光る内容を盛り込まなければならない。

ただ、そこにこそ「チャンス」が転がっているのは紛れもない事実であり、それを掴めれれば、それこそ自分の影響力を発揮できる土台の枠組みが完成した状態を手に入れることになる。やはり、バランスを取るということは、いつの時代であれ大切な要素である。

 

 

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