思考力

ことのはを信じる

目に見えざるものを大切にする。「信頼」「優しさ」「思考力」「友情」など。よく言われることだと思いつつ、よく分かっていないヒトが多い。私は、浪人生の頃、とにかく「言葉」について考えに考え抜いたことがあった。そして、今でも言葉の持つ力、言葉が人を救う力がある反面、人をひどく傷つけるという二面性を持っていることを忘れてはならないと思っている。予備校で出会った師匠。打算的なベンキョウをとことん嫌う。授業の端端に、言葉の大切さを語っている。そんな師匠の熱い眼差し。憧れは日増しに強くなり、尊敬の念は、やがて自分の人生を根底から支えるようになる。大学に入り、英語講師になった自分は、やはり同じように、誰かの人生を根底から支えていきたいという熱い気持ちを基盤として授業をしていた。のちに、それは厳しい状況に自分を追い込み、普通の大学生とは全く異なった学生生活を送ることとなったのだが。

人は、他の生物と大きく異なることとして「言葉」を遣うという点。そして、人間が脳の大きさも含めて、大きく進化した要因は、他ならぬ「言葉」を遣うようになったため。弱肉強食ではなく、理性を保つ。万事をを慈しむ。そして、自分という存在を可能な限り表現し、探究していく。今、こうして私が書いている文章は、やはり誰かに向けて書かれているものであり、その中で、他ならぬ自分を支えるために書き綴っている。自分捜しの旅。言葉の森へ。言葉の海へ。地平線の向こう側、限りなく拡がる天空へ思いを馳せる。そこに本当の自分は存在するのか。はたまた、空間という概念を超えて、時間軸の中で気づく自分の歩んで来た軌跡。そして、その奇跡。確実に存在している自分が、やがて物質的に消えるという否定できない事実を受け入れるためには、やはり言葉の力がなければ耐えることはできないのだから、言葉との付き合いを大切にしなければならないと自らを律する。

辛い高校生活の中で、自分の心の底から湧いてくる不思議な感情を表現するために、必死になって日記を書き記していた。大学受験勉強をそっちのけで、文学作品を読み、自分と作者との間に、接点を探し続けて日記を書いていた。大学の日本文学の教授の授業に魅了され、必死に書き上げた課題のレポートが、次の週に教室全員に配布されて、絶賛された。そのことが嬉しくて、そのことで自分の文章に自信を持って、日記を記した。しかし、時が経ち、自分の生を自ら断ち切るために、今までの手記を1ページずつ破り捨てた。そんな思い出。言葉に救われ、言葉に秘められた神秘的な力に感謝した。今、私は、しっかりと生きている。

誰かのために書くのではなく、自分のために書いている。自分のために書くのではなく、誰かを支えるために書く。いや、それを両立させることができると信じる。そのような信念こそが、自分の文章をしっかりと支えてくれる。自分の心の小さな孤島から、おもいを込めて手紙を瓶に入れる。やがて誰かの心の陸地に到着すると信じる。想像力とは、そのようなかけがえのない気持ちから生じる創造性を秘めている。生は謎に満ちている。だが、時間の流れに無自覚に流されてはいけない。常に積極的に社会と自分を照らし合わせ、主体的に自らを社会と関わらせて考え抜く。とても難しいことなのだけれども、言葉の力を自分の心の根底に持ちつつ、育みながら、言葉を大切にする気持ちをキープし続けていれば、目に見えない何かを、いつか必ず見出せると信じている。

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