思考力

岩石の向こうにある道

 

ニュースなどのメディアの情報をなるべく遮断している。例えば、ヤフートピックスに、どんなに興味をそそるタイトルの記事があったとしても、結局のところ、知ったところで全く意味のない「トリビア」のような内容だと断定し、決してタップしない。実際、かなりの優秀なビジネスパーソンも、1週間程度の世間で騒がれている情報やメディア報道など無くても、全く問題にしていない。最も気をつけるべきは、無作為に流れてくる多種多様な情報を、いかに自らが選別して取り入れていくかであり、寿司屋でいえば、コース料理ではなく、板前に「今日のオススメ」を訊きつつ、自分の欲しい寿司ネタだけを食べることである。

芸能人の不倫などの問題は、完全に論外だとして、やはり、「新型コロナウィルス」に関する問題は、非常に深刻である。ゆえに、どんなに情報を遮断したとしても、こちらが入手しなければならない情報だ。本日、4月23日、4都道府県に「緊急事態宣言」が発令された。これで、三度目となる。慢性的なコロナ疲れの日本人に対して、この発令に意味があるのかどうかは疑問であり、そんなことはどこ吹く風の状態で、IOC会長は「オリンピック開催」を断固として譲らない。その根拠は、「コロナとオリンピックは別物」ということ。今、こうやってブログを綴っていると、選挙の車が「皆様のご協力を〜」「コロナ禍でも〜」という拡声器を使った大音量の声とともに、過ぎ去っていく。しかも、2台。ブロガーの端くれの私にとっては、営業妨害でしかない。

投票が終わったら、「子育て支援」も「高齢者支援」も、「記憶にございません」になってしまうのか。「オリンピック開催か否か」「新型コロナウィルスへの対策」の議会中に、居眠りをしているような人たちに、「清き一票」を入れるのは、困難だ。世界情勢や、日本の動き、果ては、自分の人生を考える時であっても、順番が「逆」になってしまうと、大きな痛手を喰らってしまうことがある。自己資産を増やすための投資に躍起になる余り、生活費そのものが、カツカツな状態のまま、アメリカで人気で安全なファンドを探したり、まずあり得ない事故に備えて、莫大な保険をかけたり。少ない小遣いでドリームジャンボを買っているのか、隕石が落っこちてくる時に対するホケンなのか。順番を知らない状態で、自分の心理状態が不安定なまま生活していれば、近づいてはいけない危険人物が忍び寄ってきたり、知らぬ間に毒を喰っていることだってあろう。

昨日は、初めて「受験英語」をオンラインで指導した。それはそれは、とても貴重な経験ができた。素直で優しい生徒との出会いがあり、久しぶりに受験教育現場へ戻ることができた。授業前は、やはり緊張のためか、ソワソワしてお茶をこぼしたり、カメラの動作確認を何度もしていたら、授業開始時間の10分前だったり。いやはや、何とも「教育実習生」のような状態だった。目の前に生徒がいるわけではなく、千葉に居る私が、神奈川県へ居る生徒へ授業をするわけだから、うまくいくかどうかの不安は、実に強かった。

私は、オンラインでの授業であっても、やはりお互いの顔が見えた状態で授業をすることがベストであり、リアルタイムで板書を写してもらうことにこだわりを持った。だから、自宅を完全にオンライン対応可能な状態にDIYし、ホワイトボード2枚と、Mac、iPad、iPhoneの我が息子のような「親友たち」を味方に、それを書画カメラでスイッチングするという、前代未聞の離れ業でやり通した。授業終了10分前のタイマーをセットしていなかったら、1時間以上続けていたであろうほどの集中力で、時間が過ぎ去っていた。生徒もびっくりの時間感覚であった。

このように、コロナが蔓延しようがしまいが、変化せざるを得なかった日本の教育システムに、自分から積極的に変化に順応する努力をしていけば、今まで自分が積み上げてきた経験を無駄にすることは決してない。そして、自分の思考過程を板書することにこだわりを持っている自分の授業の良さを活かしつつ、その板書の時間を限りなく短縮するために、パソコンとタブレットの画面をミラーリングでシェアすれば、これほど効率的な授業もないと実感。こうやって、時代の変化に対応する、自分だけが秘めている潜在能力を高めていくことができる。

久しぶりに「受験指導」をした感想は、やはり「すごい」の3文字に集約される。それは、いろいろな意味を含めた「すごい」だ。文字にしたら、さらに何千文字になるか分からないほど「すごい」の3文字。生徒の受験対策をするために、自分の授業を最高の状態で提供するための対策をする。そして、訳のわからない「黒い塾」の摩訶不思議な「鬱直行」の経営方針が、今になって、ますます明確に理解できる。何をもって「勝ち」と定義するのかは難しいけれど、また、何をもって「一番」と定義するのかも難しいけれど、常に自分の満足のできる「ビクトリールート」を見つける習慣をもっていたいと思っている。

今の私が、どんなに過去の自分の経歴を語ったところで、誰も興味を示すはずもない。そんな当たり前のことに怒りや嘆きの感情を抱くのは、「順番」が入れ替わっている。あくまでも、感動には「プロセス」が不可欠であり、炎上寸前の暴露話をするためには、確たる実績が要る。いろいろなドラマやアニメの「名シーン」だけを切り抜いた動画があったが、確かに素晴らしい「名言」ばかりであった。ただ、そのシーンにたどり着くまでの紆余曲折が描かれていたからこそ成立した名言なのだ。仮に、私が同じセリフを誰かに言ったとしても、何も響くことはない。そこに「重み」がないのだ。

ただ、自分には確たる自信がある。このように、たとえ一粒の水滴が、大きな岩にポタポタと滴り落ちているような情報発信であっても、いつかきっと岩は丸くなり、そこから光が差し込み、私の発信が、限りなく広い世界の「ビクトリーロード」につながっているということを信じ抜く。だから、私は毎日毎日、朝の鳥の鳴き声をBGMにしながら、自分の考えを書き綴っているのだ。

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