思考力

振れ幅

現在、朝の4時を少し回ったところ。3時間程度寝て、トイレに起きて、なかなか再び眠りに就けないというパターンではない。雑記ブログになったり、私の個人的な「愚痴」を書き綴ったところで、読者にとって迷惑極まりないことは、重々承知。だから、いつものように手書きの原稿をシッカリと作成してあるので、終始プライベートの話をダラダラと書き綴る事はないはずだ。だから、少しだけイントロの部分は、不快に感じてしまう方も出てきてしまうかもしれないが、そこの点に関しては申し訳ないと思っている。ただ、こんな時間に書いているブログには、やはり特殊な感情が入り混じっていることを察していただきたい。

昨日の無礼極まりない突然の電話で、数年ぶりの怒声を張り上げてしまった事で、完全に精神バランスが崩れてしまい、「躁鬱混合状態」という厄介なモードに入ってしまった。「不安緊張状態」と呼ばれることもあるので、短期間のサイクルで気分の波長がブレるという症状ではない。いわば神経が過剰に反応している状態だ。躁状態に突入すると、エヴァで言えば「覚醒暴走モード」の制御不能状態が続き、その爆走ステージにいることにすら気づかず、「これが本来の自分の実力だ」という自信に漲って、自覚症状がないまま湧き上がるパワーが尽きるまで3時間程度の睡眠時間で爆走することとなる。やがて、悪夢から覚めるかの如く、我に帰った時には、多くの物質的なものや金銭、そして人間関係や信用を失っていることに気づく。そして、底無しの鬱へと沈んでいくのだ。

私の場合は、「双極性I型」という、気分の波長の振れ幅が異常なほど変動するので、毎日、気分の波を穏やかにする薬を服用する。へんてこりんな医者に処方された薬など飲もうものなら、「それなりの病院」へ入院することになる。双極性障害の診断が下りるまでは、多くのヤブ医者に「統合失調症」と誤診された。そして、「ゆず」の歌で言う『サヨナラバス』で、それなりの病院の“VIPルーム”が用意されて、そこで素晴らしい待遇を受けたこともある。2回も招待されたので、もう招待されたくはない。

冗談は程々に、人生のどん底とも言える「2回」の強制収容所での生活は、薬漬けという表現が最もふさわしい。今考えれば、誤診だというのに、ご丁寧に「ベッドに張付けの刑」を執行された。医療裁判をすれば確実に勝てるはずだが、そんな時間と労力とカネを無駄にしようとは思わない。そんな苦いトラウマを抱えている私のステージは、「躁」に傾きつつある「不安緊張状態」。いつもの薬を飲んだところで、全く眠れない。BGMに睡眠導入の自然音や、こんな時間に75人がライブで視聴しているBGM「有名なジャズバンド」の音楽もしっくりこない。

疲労回復効能の疲れを取るという問題ではない。脳にこびりついた爆弾の爆発が完了し、とっ散らかった「怒り」という感情を抑えるため、「第3の目を覚醒させる」というエナジーミュージックで怒りを鎮めてみよう。今、「爽やかな「土曜の朝」の音楽を聴きたいとは、到底思えないので、エナジーミュージックを選曲したのは、我ながら正しい選曲だ。

ここまで。

ここまでである。上記の「エナジーミュージック」を聴きながら、1時間ほどブログを執筆していると、凄まじい眠気が私を襲い、コアラマットレス に沈み込んだ。現在、13:30を少し回ったところだ。あそこまで感情がブレている文体も、なかなかレアなもので、目が覚めれば何となく怒りが静まったというか、怒りを感じることさえめんどくさい無気力感とともに「ぼぅっ」としている。コーヒーのストックがないから、いまいち「シャキッ」としない。とりあえず、「チャクラ」系をBGMにすると、文章がスピリチャルに傾いて疲弊しそうなので、多少アップテンポなcafeで軽快に流れる“JAZZ”を選んだ。

手書きの原稿は、シッカリ残っている。それをもとに再編集して文章を書くことになるのだが、昨日のブログ執筆中の心の波は、不快極まりない突然の電話で、心が大きく乱れたため、「静から動」へ急展開した。しかし、今日は「動から静」へ下に緩やかに落ち着いていく正反対の心理状況となる。土曜の昼。今日は、やけに暑い。確か、カーステから流れてきた気象情報のオネーちゃんは、「夏日」が続くと言っていた。日付としては、ゴールデンウィークのラストサタデーの追い込みといったところ。ファミリーにとっては、貴重なサタデー。一時的であれ、夏の日差しを浴びながら楽しく過ごしていくことだろう。

私の気分の波が、一時の刺激で急な方向転換をするように、どんな人間であれ未来の完璧な予想はできない。「リーマンショック」で株が暴落したり、逆に「コロナショック」で爆上がりした株だってある。予測できない未来に備えて、人は何かに対して保険をかける。その保険というのは、お金を出して掛け金を支払うものばかりではなく、先行自己投資として、特定のスキルを身につけ、資格を取るために勉強したり、食いっぱぐれないように老後資産を小額積立しておくなど。IQ 180の人が語る未来予想図が、ある程度の部分までは的中するかもしれないが、完璧に予想通りに行く事はなかろう。

ただ、天才的な人の未来の予想というものは、日本の「道徳」で習うことよりもはるかに価値が高い。そもそも、学校で習う「道徳」という科目は、今までの価値観の中で「善」とされてきた教えを再確認するように進められていくことが前提であり、それは言い方を変えれば、古い価値観に縛られ、先入観を植え付けられてしまうということにもなりかねない。実際の世間の価値観というものは、高い学歴を獲得し、高い身分を勝ち取った人が、人生の成功者とみなされる。そういう人は、車を大暴走させて人を轢き殺しても、無罪を主張したり、言い逃れをするために、主張を一転二転させても胸が痛まない。果たして、このようなヒトが、「義務教育」の段階で「道徳」を学んだと言えるのだろうか。

世界のどこの国も経験したことがない「超少子高齢化」に突入する日本。徴収した「年貢」を、道路を掘り返したり巨大な施設を作ることに打ち込まず、子育て支援に回していたら回避できたと考えることもできる。残念ながら、それは「あとの祭り」。コロナを押さえ込むために、完全なロックダウンや自宅待機ができず、変異株が拡がっても、上の人たちは「道徳」という教科を受けたことを記憶から削除してしまっているので、記者会見は「茶番」だという批判が相次ぐ。そもそも、議会の間に夢の世界で、私の不眠症の苦しみを分けて欲しい議員の口座には、たっぷり「年貢」が入ってくる。

やはり、国民へ対する政府の考え方というのは、その居眠りの仕方から見ても分かる通り、残念ながら「人命」も「経済」も、うやむやなまま先送りになってしまう。「自分の資産は自分で守れ」。やはり、「NISA」や「iDeCo」で自己防衛する重要な知識をフル活用していなければ、人生詰んでしまう。ただ、「人生詰んだ」と思っても、「ナマポ」という選択肢がある。もちろん、それを有効活用できるのであれば、恥ずかしいことではなく利用すべきだ。こう考えると、年金受給額が減りつつ税金がジワジワ上がり、ナマポが増加し始めると、「ヤバイ」状況となる。

最近の日本人の語彙力は、極めて貧弱になっており、具体的に心の中を表現することができない。「ヤバイ」が横行する。強調語としては「超」。では、日本の経済が衰えていく中、「超ヤバイ」という状況をどのように捉えられるようになるのかは、自分のポジション次第とも言える。日本全体が勢いを失い、沈静化していく「ヤバイ」状況であっても、「ヤバイ」くらい稼ぐ人だって出てくる事は明らか。私は、ヤバイ障害を持ちながら、ヤバイ会社を去り、ヤバイくらい自由な生活を送っている。そう考えると、昨日ヤバイくらい怒鳴り上げたヤバイ精神状況も許容してやろうと思う。

 

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