思考力

13歳だった人

明日は、かなり大きな「お金」が絡んだことを相談に乗ってもらうべく、親友の紹介の弁護士に会いに、新宿の法律事務所へ向かう。朝、バタバタとして「Blog毎日更新」がストップしてしまうことのないよう、今のうちに記事のアウトラインだけは整え、少々、フライング気味の状態にして布団に入ることとしよう。「継続は力なり」とは、よく言ったもので、本当に自分でもブログ更新が生きがいになっており、誰が読んでいるのかも分からぬ文章に、一球入魂するのは虚しいのかもしれないが、それが「楽しい」のであれば問題ない。脳を磨いて活性化させるにも良い習慣だと思っている。

やはり、毎日の習慣化したことに対して、価値を感じたり生きがいとかを感じていると、脳ばかりではなく、人生全体も活気が出てくる。毎日、3000文字程度の文章を書いていれば、必然的に文章も上達していくようで、微妙な表現の言い回しや、文と文の接続、句読点の配置などの体裁までも、無意識のうちに高品質になっていく。また、これまた意外な副産物として、人と会話をしているときに、相手が言いたいことが先に読めてしまうので、相手が自分自身の言葉に詰まって話が続かなくなってしまったときに、私が別の表現で言い換えることで、話の論点にズレが生じなくなるようなことも出てきた。この3ヶ月にも満たない習慣から得られた産物は、恐ろしい破壊力を持つ「複利的効果」を発揮している。

ブログを書き綴るという、絶対に譲れない毎朝の習慣化した儀式。そして、文章でも会話でも、「何を伝えるか」ではなく、どこまで相手との知識レベルを測って会話を成立させられるかというケースバイケースの要約力が、一瞬のうちに完成するようになった。背景となる知識が多ければ多いほど、相手の先回りを考えながら話を理解できているので、相手の話の結論が見えてしまうことも多くなった。ここで、話を遮ると申し訳ないと思って、うなずくだけになることもしばしばで、やはり、自分が関わるべき相手を改善することで、このぬるま湯のような日常から脱出しようとも思える。

Question marks with young woman using her laptop on a grey background

会話でも、思考でも、もちろん家の中にある「物」でも、付き合う人でも、キッパリと見切りをつけるべきところでは切り離し、後ろ指差されても動じることなく、自分の生き方を貫くべきだと考えられるようにもなった。せっかく良い方向へ向かっている脳ミソを、快楽物質垂れ流しのノーミソのヒトと関わって失いたいとは思わない。別に、奇抜なことをやろうとか、非常識なことをやろうとか思っているわけではない。ただ、優秀な人たちは、無駄なバッシングを避けるために、あえて口にしていないようなことであっても、最近の私の視点からしてみれば、かなり正確に掴み取れてしまうのだ。

「古い価値観」というものは、突如として一変するのではなく、目を背け続ければ続けただけ、その変化に気づけなくなってしまう。ようやく目を開けば、「浦島太郎」の如く、世界の流れは急激に変化していることに愕然とするばかり。日本は、技術的に十分開発する力もあったはずだが、新しい流れにはネガティブであり、スマートフォンの開発には完全に乗り遅れ、一気に通信の分野で取り残されてしまった。電気自動車も然り。労働環境であっても同じ。古い体制が、ガッチリと固まってしまって、柔軟な意見が一蹴される文化。「このままではいけない」と叫んでも、優秀な人は、日本にとっとと見切りをつけて、海外へ目を向けている。

かつて、『13歳のハローワーク』なんて本があったけど、当時、13歳だった人たちは、氷河期のマンモスの如く、同じような職種にありつけているだろうか。答えは、明らかに“NO”。消え去った仕事のうち、残った仕事が、今後10年でさらに“AI”によって代替されていく。この事実を認めずに、大学を出て、大企業に入り、結婚をするという人生こそが正しいという固定化されたレールに乗り続ければ、その先のレールが錆び付いて、人生そのものがストップしてしまうことさえも、認められなくなってしまうだろう。

無駄な保険について考えなければならない。大きな病気に備えて高額な保険に入り、毎月毎月保険金を支払うために、身を粉にして働いて病気になったら、どんな保険であっても「健康」という幸せを手に入れられることはない。あくまでも、健康を維持できる生活をシッカリと送り、病気にならないような食生活や運動、残業をしない働き方をしていれば、これだけ恵まれた声的国民保険制度が整った日本で、任意保険などほとんど意味をなさない。ギャンブルが胴元が儲かるように仕組まれているのと同様、特に「生命保険」関係はタチが悪い。先日も、毎月支払っていた、母の高額な入院給付金が支払われず、どんなに電話口で怒鳴ったところで、保険給付金は下りることはなかった。「解約なさるのが一番だと思われます」という強烈なフィナーレに、舌を巻く以外なかった。

では、アインシュタインのように「舌を巻く顔」だけ真似すれば良いのかといえばそうでもない。アインシュタインの「考え方」を真似するしかない。『金持ち父さん貧乏父さん』の「金持ち父さん」にならなければ生き残れない。今、名機MacBook Proで、「貧乏父さん」と変換をかけたら「貧乏倒産」と変換表示された。あと数年すれば、消えていく職業にしがみついている父さんが、倒産会社と共に野垂れ死ぬ事は免れない。もう、雇われの身でい続けることを選ぶなら、その会社と心中するくらいの覚悟でいなければならない。「老後2000万問題」だって、「早く雇われの身の危険に気づいてください」と言って、金融庁が大盤振る舞いをして「iDeCo」や「積立NISA」を非課税で運用するくらいなのに、それの制度の仕組みすら勉強する時間がないほど会社に尽くすのは、黒いカンパニーから脱出した私から見れば、あまり賢いとは思えない。

誰もが誰も、金持ちになったら、誰もが誰も、働かなくなってしまう。だから、誰もが薄々気づいているときに動いた人が有利になる。これは至極必然だ。今日100万円で買って、来年120万円で売れるロレックスを「計算」して購入するなら投資家だが、見栄を張るために買った瞬間にオーバーホールに何十万もかかるような「ビンテージロレックス」を購入するのは、よほどのマニアか無知な浪費家。後者は、「搾取される人」と定義される。大きな買い物をして経費を合わせるために車を買い替えるのは、少しグレーな経営者。そんな人の車に魅せられて、同じ車を給料で支払う会社員は、「搾取される人」。

副業収入を得る。企業して独立する。仕組み構築型ビジネスをして、ストック型収益を得続ける。素人でも失敗しない「インデックス投資」を商学でも良いから始めてみる。株や債権を買うことは、一部の資産家や、頭の良い人に限られた稼ぎ方だと思われていた。でも、時代が変化したのだ。今まで、不労所得は、ズル賢い人の抜け道だと思われていたが、古い価値観を捨てることから、新しい価値観を手に入れる余白を作るべき。そして、その余白に、どれほどの生産性の高い仕組みを自分なりに構築できるかを落ち着いて考える時間を確保することは、この時代の過渡期に、極めて重要なことだと言える。

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