思考力

残りモノと避ける物

全ての物事には、タイミングという瞬間的な波のような繋がりがある。少なくとも、どんな人であっても、実感していることであり、それを実感していない人であっても、無意識のうちにタイミングの波に乗っかっているのだ。それは、まさに寄せては返す波の如く、決して同じ波はこないことと同じように、似たような波であれ、時間の流れの中で、変形した変形を繰り返す不思議な事象の上に乗っかっている。

最近の精神と体の不調は、凄まじく悪い。先週の薬の大幅な変更が、悪かったのだと思う。そして、昨日、再び大きな薬の変更があった。まるで、波乗り者が、巨大な波に悪戦苦闘しているような、もがき方。これを、なかなか自分の中で消化するのは難しい。昨晩は、身体中が疲れているというのに、眠れぬ夜であった。また、やっとのことで眠ったと思えば、2時間くらいしか眠っておらず、そこから先は眠れなかった。今回の不眠に関しては、朝に向かって起きているときに、猛烈に眠気を感じながら、椅子に座っていることがやっとのことで、YouTube動画を観ながら、意識を失ったり覚醒したりしながら、まるでKO寸前のボクサーのように、リングの隅に追いやられている感じだった。

今、やっと起きられた。そこまでひどい残眠感は無い。あるのは、少しばかりの瞬間的な感動であった。「感動」などという大袈裟な言葉で片付けられる訳ではない、ささやかなことがあったのだが、平凡な時間の流れしか感じられない「今」の自分にとっては、十分な刺激だった。椅子の上で、強烈な眠気で座りながら、今日がゴミの収集日であることに気づく。今日、そのゴミを出さなければ、来週まで、ゴミと共に生活しなければならないという、極めてめんどくさい状態になる。そんなことをフラフラする体と頭の中で考えていると、土砂降りの雨が降ってきた。いわば、「タイミング」を、逃してしまったのである。

この雨が、いつまで続くのかわからぬまま、もう少し早くゴミのことを考えておくべきだったと自戒した。今の自分にとって、不快なものの一つは、溜まったゴミ出しであったのだった。雨は、しとしと降っている。来週のゴミ出しの日まで持ち越しになるのかもしれないという不快感。窓を開けても、雨脚は強い。ただ、ここで閃いたことがあった。傘をさしていけば良い。そんな簡単なことにさえ、気づかなかった。さらに、傘を出そうと思った後に、雨が止んだのだ。つまり、しっかりとタイミングが重なったのだ。

そのままゴミを出していると、朝の気持ちの良い日差しがあり、雲の間から自分の体に日光が降ってくることが分かる。ゴミは、見事に集積所に収まった。このタイミングの噛み合い方という瞬間が、今の底辺でありながら平凡な自分の心を震わせたのだった。今、その後の気持ちの良い状態で、この記事を作成している。冒頭の「感動」などという大袈裟な表現ではない別の言い方があるのかもしれないが、「今」の自分にとっては、十分に当てはまる心の状態の表現である。雨に濡れながらも、清々しい光に表情を変えているコンクリートを視つめ、この最悪とも思える自分の精神状態が少し上昇していることに、感謝の気持ちが盛り上がってきた。今度は、いつ、このようなタイミングに恵まれるのか、とても楽しみにもなった。

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