思考力

お腹の肉

 

何か気ばかりが焦っていて、最近は、ブログを書くときのBGMをセットし忘れることが多く、何やら目についた「ALOHA LOUNGE」なる曲を選曲したが、すぐに消した。いくら、最近の塩漬けサーフィン状態の日々であっても、ハワイにまで行こうとは思わない。とはいえ、次に再生した「アフタヌーンジャズ」であれ、最近のフライングブログが確信的常習犯の夜の私には、爽やかすぎた。夏至の1日後であれ、外は真っ暗。もう、朝にブログを書くことは当分なくなってしまうのだろうか。結局は、深い集中状態に入れる「音」を、今回のブログのBGMに選曲している。

今日は、何故だかわからないが、波乗りに行かなかった。さすがに、三日連続だか、四日連続だったかも分からなくなるようなペースだと、当然のことながら、肉体的に疲労も蓄積する。結構、気持ちは揺れ動きつつ、今日は「ひとりカラオケ」に勤しむことにした。別に、自由な時間を何につかおうが、誰に咎められる必要もない。歌い終われば日が暮れていて、レシートに印字されていた利用時間には、「4時間52分」という文字が印字されてた。受付の女の子のネームプレートには「研修中」のシールが貼ってあり、本来なら3時間フリードリンクの方が安かったのだが、フリータイムでの入室となった。今考えると、そちらより”お得”な程の長時間カラオケとなった。

一人遊びというのは、やはり気楽なもので、サーフィンにしても、乗り気でなければカラオケに変更できる。今日は、異常なほど焼肉が食いたくなり、「食べログ」で検索した結果、本格的なジンギスカン専門の焼肉店があり、ラム肉と向き合った経験が思い出せなかったので、とりあえず一人で初体験とということにした。たとえ、不味かろうが、誰に文句を言われることもない。目の前で、肉をジュージュー焼く火加減とか、そもそもの七輪に肉と野菜を置く位置自体がよくわからなかったので、机につかまらないと立っていられない程の年齢のスタッフの婆さんに、焼き具合と焼き方を訊きながら、ちょうど良いタイミングで食べられた。見事な味に舌を巻き、まさに定期的に通うことになりそうなお店にノミネートされた。

肉屋を出てから不動産屋で物件を見て、闇多き不動産屋のスタッフの見積書に、下駄どころか、異常なほど高い「ハイヒール」が履かされた金額に溜め息をつき、オーナーと直通をしてくれるエージェントと連絡をとって、次の住処を話し合っている。最近は、変化が激しい中で趣味をやる時間を保ちつつ、新しいことをやりたいという「焦り」に似た感情があり、少々の「躁状態」を感じる。睡眠時間も短いのに、結構、精力的に活動しているし、あるところで、強めの「喝」も入れているので、少しブレーキが必要。そもそも、カラオケを「約5時間」熱唱するというのは、ギアが入っていなければ、なかなか難しいはず。

そんなカラオケボックスでは、やはり、いつもより歌いたい曲が溢れ、最近のカラオケでは「LIVE映像」の歌も増えてきたので、独りでも大いに楽しめる。まぁ、気の合う友人がいた方が面白いのかもしれないが、そのような付き合いの友人との時間というのは、強い依存性があるゆえ、こちらの時間を食い潰されてしまう危険性が高い。私の健康寿命などを考えると、くだらない「ナカマ意識」というのは、不要だと思い、意味のないと判断した付き合いは、切り裂いてしまった。「LIVE映像」の歌も、今では本人の声が収録されていて、まさに歌手とデュエットしているかのような気分で歌うことができる。友達は、他ならぬ本人映像の歌手ということだ。いっそのこと、RADWIMPSの曲も、全て映画版の背景にしてもらいたいが、著作権の問題とかも絡んでくるので、まだまだ先ということになるのかもしれない。

会社員だった頃。こんなに自由な時間を確保できるなどとは、夢にも思えなかった。授業をしている時は最高の気分なのだが、下らぬ反抗をする者や、細かい注意をしてくる上司。本来、事務がやるべき電話対応などをやりながら質問対応をし、コピーの詰まりに気づかなかったということで、上司から雷が落ちる。聖徳太子でも困難な作業のオンパレード。マルチタスクが、どれほど作業効率を落とすことも理解していないし、そもそも、こんな時代に電話が鳴るということ自体が、その会社の末路を物語っている。ストレスに負けずに軽快に働こうとしたところで、そこの環境そのものがブラックであれば、一目散に逃げなければならなかったのだ。

学校をはじめ、会社などの集団組織でのイジメというのは、収集不可能なほどのダメージを心に与える。我慢に我慢を重ねて、何かの拍子に劇的に生きる効率が上がるようなものでもない。イジメなどの陰湿な行為が問題で、人生が思うように進まないのであれば、その環境にはとっとと見切りをつけて、新しいフィールドを探した方がいい。仮に、第一志望の高校に合格したとしても、立ち直れそうもない陰湿な行為が予測できたのであれば、いっそのこと逃げ出してしまい、中卒のレッテルを貼られた方が良い。「昔でいう金の卵です」という自己紹介で笑いを取れる時代だ。そう考えると、学歴など関係ない独自性が重んじられる良い時代になったのだ。

昔の価値観では、真実は一つだけでなければいけないという決まり切った概念があった。小さな四次元ポケットから次々と出てくるドラえもんのアイテム。「タイムマシーン」や「どこでもドア」なんて、どんな人でも欲しいと思ったことは、人生で一度くらいあったはずだ。では、のび太くんの生き方にはプラスになっているのか。実は、このようなことは、私が小学生だった昭和の時代にも議論されていたことで、ドラえもんが、のび太くんを甘やかすのは、いけないことだという正論がこそが「正しい」という、これまた偏屈な固定概念があった。

では、フィクションの作品の中に、全て同じ正論というのが成り立つのかというと、それは違う。人の価値観がそれぞれ異なり、それが多様性を生み出すということは、昨日のブログで詳細に書いていたのだが、やはり、ある同一の物語の中でされるテーマや、個々の主張というのは、せいぜい数種類程度。だから、こんなに個性が重んじられ、個性を出すことで、いい意味での「差別化」ができるのであれば、全く関係のないところに視点を持っていくのもあり。いや、そのような視点をもち、ブルーオーシャンを狙い続けなければ、将来は、「ベーシックインカム」を受け取る側になるだろう。もちろん、それはそれで、その人の生き方だから問題はないのだが、私は独創性を失いたいとは思わない。

かつて、いつの年のワールドカップの時だったかも忘れたが、そこかの国に日本が先取点を奪われた、全国民が肩を落としていたであろう時のこと。何度も、リプレイが流れ、今は亡き母もガッカリしていた。ただ、私は、シュートを決めた選手のジャージが捲れ上がったスローモーションの瞬間に、「腹は出てないな」と言い、母が笑ったことを思い出す。この書斎の隣の部屋に、遺骨となった母が眠っているが、新しい住居が決まるまでには、しっかりと納骨して、安らかに眠ってもらいたいものだ。棺桶には、母が安心してもらえるような手紙も入れたから、にっこり微笑んでほしいとも思う。

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