思考力

鷲掴み歯まで絞り込む

レンジと冷蔵庫が揃えば、千葉に移住してきたときに買った「無水調理鍋」という魔法の調理器具を使って、完全自炊生活に突入する。とはいえ、今のアパートに越した際に、「にわかミニマリスト」と化していた私は、冷蔵庫などをメルカリで売却してしまっていたので、外食外食の毎日。こうなってくると、調理器具の洗浄や、お世辞にも旨いとはいえない私の料理を口にするのは、少々気が引ける。

生活の睡眠バランス感覚を失った状態で、深夜1時に目が覚めた今日の私は、恐る恐る新しい調理器具で料理を作ったのであるが、悪くはないという感じだった。料理を作ったなどといえば、聞こえはいいものの、魔法の無水調理鍋に、切った野菜を投入し、20分程度煮込んだだけである。たったこれだけで、何も手を加えていないとはいえ、素材の味だけのアツアツの食べ物が完成する。少々の味の優劣を気にしなければ、もう外食などできまい。むしろ、外食で提供される料理というのは、人工甘味料をたっぷり使用して食品添加物を素材にてんこ盛りにしている物がほとんどなので、味という観点においては、やはり私の手抜き自炊など優劣のラインにも立てぬ物だが、栄養価という面においては、私の素材第一主義の料理の方が優位に立てているはずである。

先日、筆ペンで絵を描いたが、やはり筆と自分の心が一致せず、肝心なところで筆が抜けてしまったり、筆圧が定まらず、筆を抜いた瞬間に全体のバランスと一致しないラインになってしまったりしていた。これは、やはり自分の絵の才能ともいうべき力が錆び付いてしまったことを意味することであり、なかなか悔しかったので、その後、毎日描いて練習しようと思っていた。しかしながら、人間、それほど強い意志を持てるわけでもなく、それ以来、筆を持たなくなってしまった。絵を描くときには、高い集中力と安定した体力と精神力を必要とする。今月のブログを読んでいただければ分かるが、とても万全の体調とはいえなかったという言い訳だけはさせてもらいたい。

自律神経の問題なのだか、何か重篤な内臓の問題なのだかわからぬが、胸から歯に向かって、強い鋭痛が走る。今、このブログを書いている時もそうだ。Macのキーボードを弾けないほどの痛み。さすがに、こんな生活リズムであれば、身体の一つや二つ、壊れて空回りするのも無理はないとも言える。ただ、これが明るい未来に向かうための「成長痛」のような避けては通れない強い痛みなのであれば、それは感謝して受け取らなければならない。ただ、それにしても今年の暮れは、痛みを伴う苦しさが強く私を抑圧する生活を強いられる日々が続いている。

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