思考力

真理を追う為に必要なスタンス

「素直さ」という心持ちは、とても大切である。それと同時に、「悔しさ」という気持ちも大切である。ここでは、この二つの性質の違いをよくよく深く考えてみたいと思う。

では、素直さから。何かを教授されたときに、まず最初に考えなければならないことは、先を行った人からの教えを「素直」に受け入れることである。たとえ、その教えが、今まで自分が信じていた方法と真逆のやり方であったとしてもだ。「鶏が先か、卵が先か」を考えている余裕があるのであれば、そんな雑念を脇に置いて、少しでも多くの知恵を、指導者から純粋な心持ちで受け容れるべきだ。

次に、悔しさについて考えてみよう。この「悔しさ」という考え方には、さらに二つの側面に枝葉が別れ、今までの自分の考え方を一旦消さなければならないという悔しさと、今までの自分のやり方が間違っていたと気づく悔しさである。これが、前者である場合がタチが悪く、頑なに自分の方法論ばかりに固執し、新しい考えを一切受け入れられなくなってしまう。幼子が、おもちゃ売り場で自分のお目当ての物を買えずに駄々をこねている状態に限りなく近い。

他方、無意識のうちに凝り固まった自分の考え方に盲点を発見し、教授してくれた人に感謝をするような気持ちを得られて、今までの教えに囚われてしまっていたことに「悔しさ」を感じられたのであれば、そこからの飛躍は、約束されたのと同様のはずである。頑なに守ってきた自分のプライドを離せなくなっていた自分と、かたや自分の下手なプライドを一旦棚に上げ、新しい考えを採り入れる柔軟さを持つ自分。私の考えにおいては、若ければ若いほど、新しい考え方を柔軟に採り入れた方が、多様性を手に入れられるという観点からも、有意義で大切な方向に視野を拡げられると考えている。

頑固さというのは、ときに頑固ラーメン屋の店主のように、一種のこだわりという強いプライドを持ち、どんどん完成形に近づき、多くの人を惹きつけられる魅力を放つ。ただ、それは「守破離」というステップを踏んでいなければできないことだ。まずは下積みとして、多くの先輩の技術を観察し、それを守り、それから距離を離しつつ、自分の味を確立させ、やがて自分のスタイルをもって自分に教えを頂いた人から離れていくのである。これこそが素直さから出発した頑固さへの道のりである。

ゼロから出発し、その後、見様見真似で進みつつ、自分の考えを押し殺してでも、先人の考えを周到することで、自分を大きくできる契機を得られるのである。これは間違いない。新しい視点で物事を考えること。多様なる視点。画一的なものの見方というのは、最悪の場合、差別や偏見に辿り着くことになってしまいかねない。誤解をしないよう、多くの角度から対象を見抜けるようになることは、とても大切なことであり、そこに物事の「真理」を見出すことができるのかも知れない。

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