思考力

本能を超えるハードル

 

眠眠眠。とにかく「眠」。眠くて仕方がない。ただ、その過剰な眠気が終わりを告げ、やっと目が冴えてきた。ここ2日間は、何かに追われている状態から逃げ、身を隠すようにずっと眠っていた。いくら眠っても全く眠り足りない状態。冬季鬱の始まりか。おそらくそうであろう。もちろん、私には「双極」があるから、崖から這い上がって歓喜することはできず、そのまま見えない階段を昇って「大ハッピー」になることも懸念される。これまた難儀な気質を持っている。

ポジティブという感情は、ネガティブという感情の存在があるから成立するわけだが、やはり私のもっているネガティブ傾向からの視点の切り替えというのは、今までの人生を振り返っても、幸せや成功を呼ぶ布石になっていることも多い。それこそが、コンプレックスが強みに変わるといえる状態なのだろう。金を散財していたアップの状態から、金がなくなってダウンになる。そして、ダウンから這い上がってくるときに、正しい方向に気持ちのピントが合えば、お金も心も整ってくる。そんな経験。まさに、それは「今」なのかも知れない。

世界中を恐怖に落とし込んでいる「新型コロナウィルス」。このコロナと共存せざるを得ない状況において、世界中の人々は、自分の価値観そのものを変化せざるを得なくなっている。また、「Z世代」なんていうニュージェネレーションが到来する時代で、ますます現代の価値観は変化していく。丁寧に暮らせば、それほどシャカリキに働くこともなく、節約した分を投資に回せば、それだけ心の余裕も生まれてくる。そんな時代の到来に多くの人が気付き始めてきた。昔の生き方に固執して、ずっとそれに振り回されないように我慢して生きていくほど、人生は長くはない。

ブラック企業に勤めているのであれば、そんな会社は一目散にバックれるべきだ。そもそも、社員が多く負担を強いられなければならない無能な経営者のもとで成り立っている組織であれば、こんなヌメヌメとしたコロナ禍で消えることは避けられない。共倒れを防ぐには、やはりいつでも退職届を叩きつけられる気持ちを持っていなければならない。私たちは「ペット」ではない。ちょうど、「社畜」などという言葉もあるように、売れ残ったペットのような生き方を強いられてはならないのだ。

今、目が醒め、朝日がサンサンと降り注ぐ、ピリッと冷えた空気が部屋に舞い込んでくる。サーキュレーターを回して部屋中にその空気を循環させる。何とも清々しい気持ちでブログを書く。Macを弾く指の音も軽快だ。朝のこのような習慣が、まさに一年という月日を経過しようとしている。この一年のブログの継続は、まさに人生を大きく変え、自分の中の気持ちを整理するには打ってつけのメソッドだった。入試問題を解けなくて気持ちが萎えている受験生に、「〇〇分で攻略可能」などという大袈裟な謳い文句で迫る人もいるが、やはりこのようなブログをコツコツと継続している私が、地味な努力こそが王道だといえるのだと身をもって示し、断言すし、反論することができる。

人間は、今までの習慣に新しい流れが組み込まれようとすると、それを排除しようとする。それは、安定を阻害する要素が、自分を窮地に追い込んでしまうと本能的に感じるから。それならば、もっと上を目指すための試練だと思い、自分の中に良い意味でのハードルを作り、自分を高いステージへ上げる努力を継続すべきだ。真実を知って、その恐怖の正体を知ったのであれば、勇んでそれに立ち向かうべきだと思っている。

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