思考力

瞑想の直後

 

先ほど、マインドフルネス瞑想を終えた。所要時間10分。2日目だ。この10分間が、とにかく長い。24時間のうちの10分間を、こんなことに費やして意味はあるのだろうかと考えながら、今日も、瞑想を終えた。ただ、効果は8週間ほどで表れるそうで、しかも、超一流の経営者も実践しているということからも、やはり積極的に採り入れるべきだとも考えている。また、寝る前には、情報を一切遮断し、眠り用のBGMをかけて集中して眠ることに専念するようにしている。こちらは、今のところ目的を果たしている。やはり、人間の聴覚と精神は、密接に関わりがあるようだ。

瞑想10分間を習慣にすることができないはずはない。そもそも、このブログ毎日更新だって、一年経過の目と鼻の先まで来ているし、ブログを完成させるには、2時間以上かかる。2時間以上集中して文章を書くことと、10分目を瞑って、呼吸に意識を向けることを比較すれば、明らかに前者の方が苦痛を強いられる。だから、ブログを書き続けられているということには、大きな自信を持てっていいということになろう。

ブログで収益を得ようとして参入する人が、今、少しだけ勢いを取り戻しつつあるようだが、やはり文字を書き続けるだけで良いという浅はかな気持ちでは継続できない。文章を書き綴るというのは、大袈裟に言えば、大きな責任が伴うのだ。YouTubeの収益化も、ままならないからと言って、ブログに注力しようてしても、結果を残せぬままで終わることが見えている。これは、毎日更新を一年近く続けている私だから、ある程度、主張できること。何もやっていないのであれば、批判的なこと言ってはいけないのは当然。蚊帳の外からの批判は、ただの悪口に過ぎない。

社会で生きていくためには、このような自分の経験に基づいた上での主張をするべきである。そして、その経験を積んでいくきっかけというのは、必ずしも学校で習うとは限らない。もちろん、日々の学校生活の中の人間関係から学ぶべきことは多くあるが、やはり、自分の積み上げてきた経験というのは、学校の外にあっても良いはずであろう。学校だけで完結するという考えを改めるだけで、学歴至上主義の絶対性が、もろくも崩れ去ることになる。それは、令和の価値観と、昭和の価値観の大きな違いとなっていて、もはや、学歴というのが、たいして当てにならなくなったということを、強く表しているのだ。

とはいえ、昭和が令和より劣っていると言いたいわけではない。昭和だからこそできたことが、今、斬新であるとして、レトロブームとなり、令和の時代にリバイバルしている。また、松任谷由美のライブでしか出せない声の絶妙な裏返り方や、中森明菜の生放送でしか醸し出せないダンスライブの緊張感などは、もはや生放送で歌番組を放送するなどということはありえない令和の時代には、決して完成することはない。時は平成であれ、毎週の連載に追われた中での永遠の傑作『スラムダンク』も、月刊誌が主流の今のコミック業界では、再度生まれるかどうかは微妙である。

時代の流れが常に新しい価値観であるという認識は、果たして正しいのだろうか。時間軸としては、時が経つにつれて新しいというのは、常識的な不変の真理ではあるが、価値観の真新しさという面においては、必ずしも令和の「今」が新しいとは限らない。まさに、「今」に集中する「マインドフル瞑想」を行った後に書き綴っているブログの中で、ふとそんなことを考えていた。

 

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