思考力

追いかけながら眺める

東京に一泊して、病院を受診する。これが、果たして贅沢なのかどうかは分からないけれど、ここをケチって精神的不調に突入してしまったら、それこそ時間とカネの無駄になってしまうので、価値のある出費だと考えている。カプセルホテルのサーキュレーターの不具合で死にかけたので、もうそのようなデンジャラスゾーンには踏み込みたくないと思っている。この円高の影響なのか、財政の関係なのか、税制の問題なのか、宿泊費が跳ね上がっているのだが、命に値段はつけられない。やはり、宿泊して東京の病院へ行くという選択は、正しいのだ。

とはいえ、ビジネスホテルに泊まっても、トラブルはあるもので、前回宿泊したところでは、「G」がいきなり登場した。これをクレームとして伝えたのだけれども、真摯な対応はなかった。かなりお気に入りのホテルだったのだけれども、そこを選択肢から外し、今回は違うホテルとした。高校生の頃から、原チャリで通っていた裏道にあるホテルだったのだが、入り口が分からず、Googleマップを何回も見ながら、結局はYahooマップでも見つからず、サイトの地図を見ながら辿り着いた。元東京人でなければ、おそらく到着できなかったと思う。

二階がなんと、高級鉄板焼き店になっていて、黒毛和牛が「食べ放題」とのこと。しかしながら、胃もたれがしていたので却下し、そのまま眠剤を飲んで寝てしまおうとした。それでストンと寝落ちできれば問題ないのだけれども、自分は睡眠障害の治療で東京まで治療を受けにきているのだから、そんな都合の良いシナリオは完成せず、眠剤でフラフラする足取りで、目に入ったラーメン屋に行った。眠剤特有の空腹感を満たすには、こってりとした食べ物が性に合う。だから、眠剤や精神薬を飲んで太ってしまう人は多い。

チケットを買い、カウンターに着くと、一気に眠気が来て、フラッと目が回り、そのまま床に崩れ落ちてしまった。目の前は天井だったので、自分が仰向けに倒れたことだけは認識できた。女の子二人が起こしてくれたのだけれども、感謝の言葉も出ず、フラフラとしていたら、今度は目の前にラーメンがあったので、食欲のままに貪り食った。「ありがとうございました」という声が聞こえたので、そのまま店を出たはず。まっすぐホテルに向かう意思だけは強く持って、ベッドに横になった。早朝に目が覚めると、ペットボトルのジュースが3本、お菓子とチョコレートの袋が床に転がっていた。この状態で、プロポーションをキープすることなど、100%無理だ。記憶にない状態で、これだけの食糧を腹に押し込んで、眠りに落ちるのだから、容赦なく太る。これは、少し考えれば、理解していただけるはずだ。

医者と話をし、そんな状態なら薬を調整しようという話になったのだが、調整というよりも、「冬眠」させるような処方箋が出来上がった。「長く眠ればこんなことは起こらないだろう」という着地点に落ち着いたのだが、これが信頼しているドクターの意見ならば、素直に受け止める以外ない。このような出来事を診察のときに話していれば、もはや医療というよりは、漫談のような状態になる。予約でいっぱいのはずだが、「お得意さん」である私は、20分の診察。トイレに行って帰ってきたら、次の患者さんは既に診察が終わっていた。「1分診療」などとも言われるが、果たして、分単位だったのだろうか。あまり良い言い方ではないけれども、そのような人も「お客さん」ではある。なんと言っても、二十年以上の付き合いとなるドクターとの信頼関係は、今後も大切にしたいと思っている。

千葉に戻り、処方箋を出そうとしたら、なんと薬局が休憩時間だった。そのまま家に荷物を置いて、処方箋だけカバンに入れてユータンして薬局へ行く。2週間分であっても、パンパンに膨れ上がった大量の薬を助手席に乗せて、そのまま海岸でスケボーを蹴っていた。最近では、スケボー自撮り写真も上手くなってきていて、いかにしてカッコイイスタンスを決められるかばかりを考えて乗っている。でも、まだまだ到底、イメージ通りにはいかない。そこが面白いといえばそうなのだ。そこに興味関心を持ち続けると、それがこだわりになったり、生きがいになったりする。そうやって、自分の中で感じられる気持ち良さを追求していけば、それで人生安泰なのだと思う。このような身近な幸せの追求というのが、実は一番の幸せなのかもしれないと思うのだった。

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