思考力

日照点に考える

寝付きが悪いから、当然、午前中に起きることが難しくなり、もう昼過ぎだ。とにかく眠気が収まるまで寝切ったつもりだったのだけれども、夕方に目が覚めることなく、とりあえず昼に起きられたわけだ。浅い眠りの中、強いフラッシュバックが自分に襲いかかり、トラウマが心の中でうごめいてしまい、覚醒することを制御したようだった。いつになったら、この六年以上、特に会社員だった頃に受けたトラウマから解放されるのであろうか。

このようなことを思い返すと、いつも自分の気の小ささを痛感してしまう。「そのようなことはやめてくれ」「それをされるとつらい」「あなたとこれ以上、関わりたくない」。こんな台詞を真顔で言えるだけの心持ちの強ささえあれば、今までのトラウマのほとんどは、解消されていたはずだ。だから、今、誰とも交流がないフリーの状態というのは、自分にとっては、一番ストレスフリーな状態なのかもしれないけれども、そんな空虚な時間に、過去のトラウマがニョキッと顔を出してしまえば、フリータイムが台無しになってしまうのだ。他人を変えられライことが事実なのであれば、自分が変わらなくてはならない。ただ、それだけの強さを秘めていられれば、今頃は心強い仲間に囲まれているに違いない。

昨日の強い雨とは打って変わって、突き抜けるような青空の快晴。今の自分にはもったいないくらいだと感じてしまうほどの天候だ。昨日のような豪雨が続いていれば、どんな精神状態の人であっても、外出するのが困難であろうし、逆に、どんなに引きこもりであれ、ニートであれ、エリートサラリーマンであれ、誰であれ、天候というのは平等に与えられるのだから、精神状態が悪い人にとって、ここまでの快晴というのは、憎らしいとも感じてしまうし、どんどん自分が取り残されていく感覚だって生じてしまう。

千葉で過ごした6年間で、一度だけ入れたグループがあった。自分の心の傷を隠さずに話をできる場所。一見さんだったから、なかなか輪の中に入れなかったかと思っていたのだけれども、皆歓迎してくれていて、なんとかして自分が話の中へ順応させられるように配慮してくれていた。それでも、自分の抱えている病気のことをからかう人もいたし、どうしても自分を仲間だと思ってくれないような人もいた。そのときに、「どうして自分と仲良くしてくれないのですか」と言えればよかったのかもしれない。そうすれば、その周りにいる仲間が自分を助けてくれていたのだと思う。その一言を放つだけの根性が足りていなかった。今考えると、とても貴重なチャンスと居場所を失なってしまった。

少子高齢化が進み、晩婚化も進み、それに相反して若者の結婚願望が低下している。人間関係を保つためには、やはり土俵がしっかりと確保されていて、そこに居心地の良さを感じられるのであれば、自分がここにいるという意思を力強く伝えることは、不可欠なのだと思う。人は、一人では決して生きていけない。今飲んでいるコーヒーだって、いくつもの工程で自分の口に運ばれているわけだし、この記事であっても、私という個人から世界へ発信するためには、様々なシステムが不可欠なのである。発電されたところから自分のところへ届く。その逆の工程も同じであるのだが、やはり全てのプロセスにおいて、自分の存在を知らせ、さらにその過程に感謝する気持ちが大切なのだろう。

最近、よく自分にとって掛け替えのない人の「死」のことを考える。もしその人が生きていて、今の自分を見ているのであれば、どんなアドバイスをくれるのだろうかと考える。でも、その人たちと会話をして悩みを打ち明けることはできない。千葉のブラック企業で勤めていた時の理不尽な扱いを考え、思い出し、それを追記するときに、涙が止まらなくなる。この問題が、いつまで続いてくるのか、心底不安になってくる。こんな快晴の春の陽気の部屋の中。新鮮な空気が入れ替わり、自分の心もどこかで洗浄されてくれないだろうか。不安はますます募るばかりだ。

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