思考力

カーゴパンツのホール

右クリックをして横文字を貼り付ければ、多少の知識があるということを「フェイク」できるのだろうが、このブログでは、背伸びをすることはあっても、知らない知識を既にに知っていたかのような「インチキ」はしない。ただ、今夜もフライングで書いているブログ記事作成のBGMは、どこの国文字だかも分からぬアルファベットの上に、英語の発音記号の「強勢マーク」のような印がある。このアルフベットのような文字のタイトルをコピペして、偉そうな後付けをするような邪道などしないということを、この「フライングブログ」の冒頭で記しておきたかった。ただ、それだけ。

そもそも、二晩連続で夜にブログを書いている理由は、別に、夜型就寝前ブログに転換したいからではない。起き抜けにブログを更新できないのであれば、その日1日が、明らかに歯磨きをしていないかの如く気持ち悪いという領域に達しているので、次の日に外せない用事や、楽しみな事があるから、前の晩に書いているというわけだ。今日は、前者。明日は、後者。今日は、病院に行ったので、明日は、波乗り。このように見ると、かなりスムーズな生活をを送れているし、何よりも生活全体に潤いがあって、とても心が軽い。

こうなると、今日の受診の時に主治医に伝えることは、昔の心的外傷を思い出してグダグダした「愚痴」ではなく、それを見事に超えた自分の誇らしい「軌跡」の報告となる。あまり調子に乗ると、私の主治医は「ただの軌跡だ」と言い放って、訳のわからぬ処方をしかねない茶目っ気があるが、中身は日本屈指の名医。そもそも、本当にふざけた処方をするのであれば、わざわざ外房から2時間半以上かけて、渦巻くコロナの緊急事態宣言の渦中に飛び込むことはない。自分の精神状態を自分なりに静観するということを前提に、プロ中のプロのドクターの客観的な分析があれば、大きく人生を失敗するような精神状態へ落ち込むことはない。

憎まれ口を叩きつつも、私は、自分の主治医には深く感謝している。仮に、千葉に引っ越してから、ドクターショッピングなどという愚行をしでかしてしまっていたら、私は間違いなく「黒カンパニー」の猛攻に耐えられず、自分の教え子の様子を見守ることもなく、人生のドン底でノックアウトされてKOされている。もしくは、ギアがトップに入り切った状態を押さえきれず、思い出してしまうとハラワタ煮え繰り返った怨念を伴う怒りを抱いている生徒や上司を、今頃、底無しのそこへ沈ませるが如く地面に叩きつけ、やがて気づけば大暴れしていた頃の「ヤンチャな中年」になっているだろう。

Man posing in the dark with a fedora hat and a trench coat, 1950s noir film style character

angry little brat enjoying making a grimace, sticking out his tongue, playing with his hands for misbehavior, contrast effects, grey background

そんなドクターとは、毎度のこと気楽な問診をしていて、仮に、私とドクターの診察を録音してYouTubeにアップすれば、かなりの高確率で再生回数が上がるはず。今日は、私が一本とった形で終了したので、次回も論破されぬよう気を引き締めておかねばならない。そんな不思議な病院がある場所は、「行き交う人も又旅人なり」という表現が正しいのか、喧騒甚だしい都内某所に位置する。濁して癒えば、不思議と肩をぶつけることなくスルリスルリとニンゲン同士が上手く擦り抜けていく交差点があり、そこではハロウィーンやワールドカップの時には流石に通行止めとなり、その付近の改札前付近には忠誠心の高いワンコの銅像が威風堂々とオブジェとなっていて、その裏の少し離れたところには、数体のモヤイ像があって、もしかすると『進撃の巨人』のモチーフになっているかのような顔つきをしている。このような言葉遊びをしている時が、一番厄介な状態だと釘を刺されているので、さすがに文体を落ち着かせよう。

ある人にとって、そんな忙しない風景の中ででも、十分に生活できる術もあり、都内でも上手くやりくりすれば、それなりにゆとりある生活を過ごすことができる。時々、ほんのりとしたハッピーを感じたいのであれば、週末には千葉外房の海を眺めて潮風に包まれてコーヒーを飲んで黄昏るもよし。内房と外房の峠を車で抜けていけば、多少運転に自信のあるパパが、若かりし時の多少血の気の多いドライビングテクを、家族サービスで披露できるかもしれない。ただ、私の場合は、その正反対になったわけで、外房の穏やかな生活の中の切り取られた少しの時間を、都内某SHIBUYAの喧騒に突っ込むとなったのだ。

今日は、デニム2本とカーゴパンツ1本を、わざわざ千葉から別口の袋に入れて「シブヤ」へ行った。ただでさえ長い薬の受け渡し時間が、コロ助のせいで一段と長くなっている。そんな状態で、文句を言う相手を探すのも虚しい。だから、3本のパンツをリペアに出しに、一駅離れたオサレな街「代官山」の行きつけ「だった」店にリペアを依頼した。もちろん財布に優しい徒歩での移動だ。いつもボロ切れ状態になっているズボンを、わざわざショップに大事に持ってくる中年男性の愛着心。廃盤モデルのカーゴパンツは、気づけば「10年選手」。もはや、延命はできても、短命にならざるを得ないとのことで、このパンツを殿堂入りとして永眠させることにした。

もうボロ切れのようになった私のパンツは、その下にある私の本当のパンツを隠せず、穴だらけの引退選手。膝から下を切り落とした状態で「寝巻き」として、今年の夏を最後に、役を終えてもらうことに決定。その決意をスタッフに伝えたとき、まさに自分たちの目指す「UES」に育て上げたことを喜んでくれた。東京にいる時には、根がボンボンでありつつ、やがて極貧人生に陥った関係で、何やらモノに対する価値観がバグっていた。今でこそ、千葉のユルイ雰囲気に染まってきているので、くだらない浪費は少なくなり、買って良かったモノを考えるよりも、買わなくて良かったモノを考えて胸を撫で下ろすことの方がよっぽど多い。

New Born Baby boy is sleeping with his white suit

貧乏人はモノを買い、金持ちは体験を買う。誰だか知らぬが、どこかのインフルエンサーが入っていたこと。これは、世間一般でも言われているのか、今の私には、とても響くセリフである。話を「酒」に置き換えれば、高い酒を買うことよりも、酒の値段を2番目にし、酒を楽しんだ「体験」が大切なのだと言っているようだ。ただ、そうは言いつつ、ニンゲンは意思の弱い生き物で、一度でも楽しい体験をしてしまうと、その記憶をかき消すことができなくなり、その時の体験を求めるがあまり、衝動的に体験を招いてくれるモノを買い漁るようになる。

こうやって、冷静な状態でビジネスを考えると、私も依存性を利用した商売をして一儲けできるような感覚になる。だが、まだまだ消費者側だ。サーフィンの楽しさに中毒になり、ブログをフライング気味にして、サーフボードを磨いている。ブログと波乗りの一等争いは、なかなか熾烈を極めているようだ。

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