思考力

快適な角度

回答は、非常にシンプルなことだった。毎日の異常な寒さ。もはや、2月には凍っているのではないだろうかと心配するほど、体の底から震えが来る今年の12月現在。ベッドごとエアコンの真下に移動し、サーキュレーターを作動させるも効果なし。打つ手は打った。こう考えあぐねていたのだが、あまり期待していなかった、サーキュレーターの位置と噴射口の角度を変えるという戦法を試みてみた。すると、少し呼吸がしにくくなるような暖かさを体感。風呂に入っても、何やら呼吸が苦しい。もはや、部屋は暑苦しく、風呂上りの冬の夜に、エアコンを切って窓を全開にし、換気をする羽目になった。

ここで言いたいことは、何事も諦めず最後までとか、創意工夫が云々カンヌンとか、そういう精神論ではない。ただ、快適に生きるためにやるべきことをやった、という結果論に過ぎない。人間であれ、他の生物であれ、やはり生きるためには、少しでも生きやすく環境を整えることは、本能的に察している。大袈裟ではあるが、今回の自分の獲得した結果というのは、少しでも部屋に引きこもる環境を快適にしようという気持ちから出てきたもの。ヤドカリやカタツムリが、壊れてしまった甲羅の穴の修復をしようと思っていたら、結果的に快適な空間が出来上がってしまったようなものである。

今日、私の部屋に、新しい机が搬送されてくるのだが、これに至っても、今現在、作業している簡易的な机での作業効率が悪く、MacBook一台の面積では、本格的な仕事ができないという結果からの購入。別に、インテリアがどうのこうのとか、風水的にどうとかの問題ではない。また、さらなる仕事の効率アップを図るというわけでもない。ただただ、自分の中で、この小さな簡易机では、作業スペースを取れずにイライラすることばかりだから新しい机を購入したというわけだ。

やっと、普通の人と同じ朝を迎えられた。少しヒンヤリとした空気の中で、朝のコーヒーを飲む。今日は、サタデーモーニング。みんなも、気持ちの良い朝を迎えているに違いない。もし、私が寒さに震えるというより凍えていたのならば、こんなに余裕のある気持ちになることはできないであろう。やはり、環境というのは、とても大切だ。性格とか人格とかが関係するとも思うが、やはり心にゆとりのある人というのは、自分の身の回りのことや、周囲の物事への整理整頓がよくできているのだと実感する。

カレンダーを見れば、今年もあと2週間あまり。みな、断捨離や大掃除をしていることだろう。私に至っては、日々の掃除と断捨離には、気を遣っている。ただ、自分の作った教材に関しては、どうしても捨てきることができない。読み返せば、当時の鬼気迫る勢いで創作していた頃の記憶が蘇る。正直、吐きそうになる。こんなにも全力を振り絞れば、病気にもなるし、この上、授業以外のストレスが加わっていたのだから、なおさら自分に対して重荷を抱えさせていたのだろうかと反省してしまう。物事は、ベストを尽くすより、継続することの方が大切だとわかってはいつつ、目の前にいる人を完全に満足させられずして、前には進めないという気持ちの方が優ってしまう。

そのような気持ちが、自分の履歴書に穴を開けてしまう一番の要因になってしまうのは、よく理解できる。環境を変える。もし、自分の履歴書を見られて、その時点で弾かれてしまうような状態なのであれば、自分だけで仕事が成り立つような生き方をすれば良い。ただ、こうやって開業届を出しただけで、ほとんど利益など出ていないオンライン予備校を運営していれば、やはり自分の力の弱さを痛感する。サーキュレーターのように、少しだけ風向きを変えて、何か大きな利益を得られるようなキーは、何かないだろうか。

回答が出ない。「解答」はひとつに決まるが、「回答」というのは、クルクル廻る終わりのないもの。それは、自分が成長するにつれ、または環境が変わるにつれ、どんどん変化していくもの。今の自分にベストな選択肢は何か。今までのように、しかめっ面で怖い顔をして解答を追い求めるのではなく、自分の部屋の快適なレイアウトを考えながら、掃除でもしていよう。夕方に来る配送業者が驚くくらいのキレイで整った部屋を用意して、ぼんやりと「快適」って何なのかを思い描いていようと思う。

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