思考力

突如出現するハードル

「ありがとう」と「ごめんね」。この言葉を、全く同じ比率で、頭の中で反芻させることは難しい。このブログでは、何度も注意していることだが、私的な内容に偏らないことを目的としている。だから、私が今何に悩んでいるとかは、最小限に留めなければならないと思っている。少なくとも、雑記ブログにしたくは無いし、世間様もそのような記事を求めているわけではない。そもそも芸能人などではない個人の愚痴のようなものを曝け出すことが、いかに無駄かということは、他の人よりも分かっているつもりだ。

では、冒頭の二つの言葉の比率の話に話を戻そう。何らかに集中している時、もしくは逆に集中しようにも雑念が入っているときに、過去の思いがふと脳裏をよぎり、「クッソー」と怒りが煮えたぎることがある人も多いだろう。集中しているときに気を抜いた瞬間に襲われる感情とも言える。そもそも集中していないのではないかと反論されそうだが、人間の集中力というのは、必ずどこかで切れるわけで、その途絶えた瞬間に何とも言い難いネガティブな体験を思い出してしまう。そんなことはないだろうか。

最近、このような現象に取り憑かれている。あえて具体的なことは書かないが、鬼のように集中しているのだが、作業が単調な上、危険を伴うことをしているので、やはりふと考えが黒い方向へ流れ出してしまうことが多くなっている。一度、そのような怒りが増殖してしまうと、今度は、自分がやってしまった過去の悪い出来事に対して、謝罪の言葉を述べたくなる。ここまでくると、感情がネガティブな状態で綱引きをしている負のエリアに入り込んでしまうわけで、ここまできてしまったのであれば、作業の手を緩めるか、作業そのものを中断しなければならない。

ただ、私が今取り組んでいる「作業」は、私の死活問題であり、一歩間違えると、人生が大きく湾曲してしまう可能性だってある危険なもの。冒頭の「ありがとう」に関しても、実はネガティブな状態で使うものであり、悪いことをして傷つけてしまったのに「許してくれてありがとう」「ごめんね」だ。すると、やはり原因となるものの発端は、ネガティブなこととなっているので、如何ともし難い。

今回取り組んでいる単調ながら難しい作業が、私にとって難攻不落の問題であるのかもしれないが、その解決できない難問に対して、折り合いをつけていくことも大切だと思っている。そもそも不可能なことに対して、自分の能力を超えたことをしようとしても、苦しみで自分を傷つけてしまうだけ。もし、このブログの読者の方で、今取り組んでいるハードル、特に単調なタスクが今後の人生に大きな悪影響を孕んでいるような状態なのであれば、そのような難しい課題に関しては、保留にする。そればかりではなく、今後の課題として、そして課題そのものの解決は諦めて、折り合いをつけて生きていくということにすることを学ぶことは、とても大切なことであると思う。

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