思考力

災害吸収マットレス

 

日本で、確実に安全な地域というのは、すでに無くなってしまったのかもしれない。もちろん、大統領が暗殺されるような国のように、いきなりピストルの弾が飛んできたり、突然どこかに拉致されるということはない。だが、最近では、突発的に発生する自然災害が多すぎる。これは、すでに「アンラッキー」の領域で考えるのではなく、温暖化によって引き起こされた気象状況の変化で、日本に台風や大雨が発生する確率が、明らかに高くなったことが、科学的に証明されている避けられない「ファクト」。もはや、いつ「豪雨」によって「拉致監禁暗殺」されるかわからぬ「キケンな国」になってしまったのだ。この事実だけは、強く認識しておかなければならない。

熱海市の土石流捜索活動が続き、生活再建に向けての動きも出てくる中、安否不明者が1人減り、20人となった。もちろん、その1人というのは、生き残った状態での発見ではない身元不明だった人が発見されたのだ。もう息絶えてしまったということを「事実」として認識しなければならない遺族と、まだ生きている可能性が一部の望みとしてもありながら、せめて息絶えた遺体を確認して、その事実を認識したいと考える残された家族。こちらは、考え方次第とはいえ、どちらかを選ばなければならないとしても、やはりツライ。50万部突破のベスト&ロングセラーの本では、うまくいっている人の考え方は、ネガティブだと成功できないという趣旨だが、このように、どちらをとっても悲惨な事態を、ポジティブに考えるのは、とても苦しいことだ。

そうこう言っているうちに、今度は九州に「大雨特別警報」。熊本県に「土砂災害警戒情報」発表。鹿児島薩摩川内市で、都市河川が氾濫。旅行というのが、あまり好きではない私が、熊本にいる先輩の誘いで、2回九州に波乗りへ行ったこともある。宮崎県へ向けて波を追いかけたのだが、南国のヤシの木が、車の両側で拍手をしながら送迎してくれていたような快適な雰囲気が強く記憶に残っている。あの爽快な雰囲気を醸し出す木々がなぎ倒されてしまうのか。あそこまで育つには、10年単位ではないはず。何ともやるせない。鹿児島に関しては、戦時中の日本で母たちが疎開した場所であり、現在猛威を奮っている、命を脅かす程の豪雨は、ある意味、予期せぬ「空襲」のようなもの。空襲警報がない不意打ちに、どれほどのダメージが加わってしまうのだろうか。

世界中が、コロナで大混迷している非常事態の中、無観客のオリンピック開催の是非を問答していたところに、命を脅かすような自然災害の惨事が続いている。まるで、日本を槍玉にしているかのようだ。首都圏を中心に、一時的に減っていたコロナの新規感染者数が、再度増加。4度目の緊急事態宣言。酒類の提供を、金融機関に圧力をかけてでも阻止しようとした大臣を、そんなことは言っていなかったと擁護する首相。もはや、雨雲のご機嫌をとることなど到底不可能な我々日本人が、シンプルに考え方をポジティブにするのであれば、上のヒトタチの茶番劇を観て一喜一憂するのではなく、天から降りかかってくる天災や、見えざるウィルスに対して、効率的に自己防衛する「衝撃吸収タイル」の敷き方を考えることくらいなのかもしれない。

明日、正式に転居先の契約書を交わし、新居に入居することができるのだが、家財保険の中の特約には「自然災害」の保険も入れておいた。たかだか千円二千円をケチって、災害の餌食にはなりたくない。そもそも、すでに車を失うほどの豪雨の被害を思いっきり喰らっているわけだから、ここで保険に入らないのであれば、お金の使い方そのものを大きく見直して変えなければならない。「もったいない」という考え方は、贅沢をしてしまったときに反省すべき思考法であり、高い危険に備えておく為に費やすお金は、心理的安定をもたらす確たるメリットになるのだ。くだらぬ洋服に身を包む金を捻出するよりは、よっぽどマシ。

フリーランスになって、一時期ハマっていた「ブックカフェ」。そんなくつろぎの時間も、こうやって在宅で心地良いコーヒーショップの音楽をBGMにしていれば、十分代用可能。そして、快適さを追求すれば、生活全体をシンプルに身軽にすること。仮に、すぐ避難しなければならない場合でも、少ない物しか所有していないのであれば、被害は最小限に抑えられる。さらに、リラックスできる空間をキープし続けていれば、心理的にも落ち着きつつ、行き着く考え方というのは、いつでも退去できるミニマムな空間で十分だという場所に着地するのだ。

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