思考力

皇族の人と大卒の人

 

ラジオ体操の歌ではないが、とても新しい朝がきた。希望の朝。柔らかいピアノの音楽を聞きながら、睡眠・リラックス・勉強用のカフェミュージックを流して、愛機MacBook Proのキーボードを弾く。もはや、自分は、このために生きているのだと断言できるほどの「自分で淹れた目覚めのコーヒー」を飲みながら、今日一日をイメージする。昨日までの三日間で、さんざんレジャーを楽しんだので、今日の仕事モードへの切り替えが億劫になるのではないかと思いきや、ここまで素晴らしい朝を迎えられれば、オンラインの指導であっても、心から受験生に「がんばれ」と言える授業ができると確信する。

今日から、担当の生徒の「英語リスニング」の授業が始まる。私自身が、ガチガチの英文法を基盤とした授業スタイルであり、文の構造から文章構成を意識した読解方法につなげていくので、左から右へ問答無用で流れていく音声を理解させることを指導するのは難しい。また、リスニングの授業に関しては、結局のところ、各自の努力次第だと言って、根性論で授業を完結させるセンセイ達も多い。私は、オンライン機材が整っている環境の中、いかにして、この「リスニング」の授業を上手に進められるかを考えている。

今日は、紀子様なる皇族の方の55歳の誕生日のようだが、このような人にとって、もはやコロナ禍であろうがなかろうが、完全無菌状態で生活できるわけであり、皆が欲しがる「ワクチン接種パスポート」なども不要なものだ。そもそも、皇族の人たちと、そうでない我々には、生活様式に差があるというか、世界の次元そのものが異質であり、前者の人たちにとっては、コロナによる財政破綻など関係ないし、観光地の人たちが、ワクチン接種証明の提示があれば店へ入店できることの是非を深刻に考えていることも、まさに「別世界」のことなのである。

このような時代の流れの中で、ますます貧富の差も進んでいき、金のあるところに金が流れるという仕組みが一層強化されることとなる。皇族の人と比較するのは、世界が違うという点において、対象がが違うと思うので、やはり経済的なゆとりという面から考えると、ゆとりのある人とない人の間の格差は、割合比率の数字的にも、前者の数字に対して後者の数字が大きくなっていく。なんやかんやで、いまだに大卒か否かで、生涯年収に差が出ているのだから、やはりコロナで生じる収入格差において、学歴が人生を左右するということにもなる。企業に属すために最低限必要な大卒の資格や、ある免許を取得するための条件が、そもそも大卒なのであれば、やはり大卒の資格というのは重要なのは間違いない。

私がオンラインで大学受験の指導ができるのも、やはり大学を卒業しているからである。ただ、私が、お互いの顔をマスクなしの状態で授業をできるのは、オンラインの機材が整っているからに他ならない。つまり、自分が得た知識や資格などを最大限に活かすための設備投資や環境を整えることそのものが、まさに、これからの時代には不可欠な生き方になると考えている。結局のところ、大卒云々もそうだが、自分のポジションを固めるにあたって、創造的な考え方を駆使しなければ、AIに仕事を代替されるのは時間の問題である。それならば、やはり自分の生き方を、自分の意思で考えられるような状態を、予め整えていく必要があるのだ。

もちろん、高収入ばかりを目指して、身体を壊しても意味はない。しっかりと爽やかな朝の日光を浴びながら、ゆったりとコーヒーの味と香りとジャズの音楽を楽しめる毎日を過ごすゆとりも必要である。

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