思考力

生産性・活動性・想像力

出口汪先生の動画に釘付けだ。「予備校バブル」期に、代ゼミから東進へ移籍、そしてご自身の経営する塾などを経営し、当時から、教育の改善そのものに邁進してきた方だ。動画内では、クスリとも笑わず、切迫した口調で、現在の教育のあり方や、活字離れの危険性などを話している。気づいていない方も多いのだろうが、表情を崩さず、発話している流れの中での声のトーン・歯切れの良さ・間の取り方・はたまた呼吸の入れ方なども、聞き手の集中力を絞りあげる要因になっている。あれほどの声の抑揚を付けられるのは、並大抵の経験ではできない。蓄積された経験の中で、裏付けられた過去の事例の解説描写。重さの桁が違う。圧巻だ。

チャンネル動画内での知られざる予備校の裏事情、バブル期の人気講師の骨肉の争い。全て、我が身のこととして考えると、身が震える思いだ。ただ、自分が今まで積み上げてきたことが、大きく間違っていないことに気付けると、その安堵感は至極。真の思考力を養成すること。論理的に考えることや、打算的で表面的な「ベンキョウ」ではなく、次のステージへ確実につながる学習法を熱く語っている。私が、このブログで、ホームページ内で語っていることと広く重なっている。だからこそ、その主張内容を隈なく聴き入りたくなる。

「人間が生産性を上げる」。これは、事実なのだろうか。生産性を上げることで得られる成果とは、人間がゼロから作り上げた物など1つもなく、あくまでも自然という資源の一部に手を加えた産物にすぎず、人間が生産できる物などないと主張している。なるほど、そのような考え方もある。英語では“productivity”が該当するのだろうが、語源を辿れば、「前(pro)へ造る(duct)名詞化(-ity)」。あくまでも、産物は手に入れたものに加工するという技術を加えただけであって、全く新しい物を作り出した訳ではない。

では、“activity”(活動性)という観点から人間の行動は、何かを生み出しているのだろうか。活動の中には、目に見える資源に力を加えて産物を作り出すばかりではなく、創作活動やSNSでのコミュニティーの形成もそれに当たるといえよう。では、そのようなアクティベーションから生み出される結果は目に見えるだろうか。これは、何とか数値化できる気もしないではないが、絶対的な物差しは無く、あくまでも完成した成果は、目に見えない「経験」値として「本人」が引きずっていくことである。

イマジネーション。対象を“imagine”。ここには、言語を通してこそ達成できる人間の特権、さらには、対象を抽象化できる人間の知的好奇心が働く。そこで得られた知識というものは、確実に学習者が、ゼロから想像した産物である。AIという無機質な物体が、人間の“activity”を奪い、“productivity”も奪取する。コンピュータは、24時間働く。パワハラで告訴される心配もないので、使用する側にとって、これほど都合の良いビジネスパートナーは居ない。このような状況に瀕している我々人間の盾は、思考力を基盤とした学習であり、真の思考回路を身につけて、AIを使いこなせるだけの知恵を身につけなければならない。

ビジネスにおいても、やはり搾取する側とされる側に分かれる。どちらが勝ちかというのは、それこそ個人の価値観によるものだが、少なくとも思考回路停止状態では、止まっていることすらできずに、沈む一方だという危機感だけは、抱いておくことは確かだ。

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