思考力

両極に彷徨う

思いっきり寝たい。最近は、長時間眠っていたいと思っても、何かの拍子に目が覚めて仕舞えば、それ以上眠れなくなってしまう。もちろん、体内時計が正常に働いているから、そのような規則的なリズムになっているわけで、やりたくもない仕事のために、無理やり起きているわけでもないから、とても良いことだ。ただ、別に起きて何か予定があるわけでもないので、意識がない状態でグースカと眠って痛い気持ちなのだ。若い頃は、いくらでも眠っていられたのだが、やはり加齢からくるものなのか、惰眠を貪ることもできなくなっている。食が細くなるのと同じ理由なのかもしれない。

昨日は、やはり就寝前に過去のトラウマが蘇ってしまい、なかなか寝付けなかった。一体こんな過去に、いつまで苦しめられるのだろうかと言う気持ちが、やるせなさと言うか、情けなさまで引き起こしてしまう。もちろん、こうやってグチグチとイヤなことを書き綴っている時点で負けているのであり、あくまでも自分が過去と決別しようとしているのならば、あえて書かないことの方が得策なのかもしれない。やはり、自分の心の器が小さいことを表している。人を呪わば穴二つ。やはり、自分の墓穴を掘ったところで面白いことなど起こらないのだ。

最近の膝の調子は最悪で、とうとうしゃがんだ状態から立ち上がるのが、かなりしんどい。そもそも、しっかりしゃがめない。今日、ヒアルロン酸の注射を射ちに、病院へ行くのだが、根本的な改善にはつながっていない。スケボーに数日間乗らないでいたが、それも効果があったのか微妙。やはり、自分の年齢というのと向き合うことを余儀なくされている。精神年齢が、いくら若かろうと、自分の肉体的な衰えと向き合わなければならないことは確かだ。

過去にトラウマを残し、体は正直に目覚めつつ、ダメージは蓄積されていく。これが老化と言うのであれば、やはり自分の中に、やるせなさを感じてしまうのも当然なのかもしれない。歳を追うごとに弱気になっていく。かつて、手記やブログを書いていた頃、自分の未来が見えてこない不安ばかりが募っていった。今は、真逆の状態。ただ、一概に、どちらの方が苦しかったのかと言う比較はできず、やはり自分の中で「不安」があることは間違いない。そんな不安さえ感じなくなるようならば、生きている価値すら無くなってしまうのだろう。自分の中に価値のある迷いの道に、多少は右往左往することは、案外良いことなのかもしれない。

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