思考力

暴力講師とDNA

世間では、ブラック企業とか社畜とかパワハラなどの労働改革にやっと乗り出せるワードが見出せる状態になったとはいえ、少しでも企業全体に文句を言おうもんなら、クビが吹っ飛ぶ状態は変わっていないようだ。「副業しろ」と言いながら残業は付き物で、会社にしがみついて誠意を尽くしても給与は上がらず、社会保険料がいつの間にかジワリジワリと上がっていて、手取りは緩やかな右肩下がりで毎年少なくなる。意を決してジャンプを試みても、家族がいるなら尚更その足の膝を曲げることができない。働き方改革とやらで、正規雇用と非正規雇用に差は生じないはずだが、そんなことは幻想の世界であり、非正規雇用の行き先は、事実上では正規雇用の人事が決定することになる。

歴史だけは長い企業では、そのようなガッチリとした歯車を変革することが困難であり、自分の主張を述べて全体を改善しようと発言しても、直属の上司の意見が絶対となり、非正規雇用の働く場所が吹っ飛ぶか、非正規として働く者のクビがブッ飛ぶかの2択となる。コレは、あくまでも私が知っている事例である為、全てに当てはまるわけではないことをご了承いただきたい。そのことを念頭に、今回のBlog記事を書いていくことにしよう。

私は、意識の中では必ず職人として授業をしている。自分の授業スキルを向上させる為に、常に研究を欠かすことはない。常に自分の授業スキル向上を目指して自分自身をアップデートさせ、できるだけ多くの人々の思考力を高めていきたいと思っている。ただ、企業では「数字」という絶対に目を背けられない物差しがある。ここに学習塾のツライ側面が露呈されてしまうのだ。特に、反抗期を迎えている者は、どんなに講師に反抗したところで、内申書に響くわけでもないし、ジュラスの中のリーダー格が、相性が悪い講師を潰そうとすれば、周囲の生徒はカンタンに同調する。そのような卑怯な行為を注意しようものなら、保護者からの怒涛のクレームが跳ね返って来て、残業代としてカウントされるわけでもない終礼後のお説教を頂戴するのだ。

私には、心から尊敬できる予備校講師が数人いて、その講師たちのように、受験の指導の中であっても学習を継続することの大切さや、偏差値に囚われない真の学問の入り口を示唆できるような授業をしたいと強く強く想っていた。気づけば、人生の半分を自己研鑽を伴う職人としての心をキープする受験英語講師としての意地とプライドを貼り続けていた。

ところが、企業によっては、1つのクラスの授業を5教科全てセットで受講させるというシステムの塾もあった。個々人の相性もあるのだから、生徒にとっても講師にとっても非効率極まりない授業となる。私は、自分の授業を完璧だと思ったことは一度たりともない。そのように思ったのであれば講師としての人生を引退するときだと考えて授業している。その瞬間にできる最高の授業を提供することには、決して余念はない。頼まれてもいない補助プリントであっても、満足できるまで創意工夫をし、最高の授業の下ごしらえをする。ただ、その時に苦痛を感じることは一切ないのだ。むしろ熱中しすぎて徹夜することもあれば、眠る時間がもったいなかったり、興奮して眠れなくなったりもする。自分が究極の授業をするために創り上げたテキストの完成と同時に、一気に気が抜けて今まで溜まっていたチカラが抜け、腹の中に入った物まで吐き出してしまったこともあった。

それでも相性の合わない人とは合わないし、企業側からすれば、職人魂などという頑固な人間は、柔軟性がない者だと判断されて、隙を突いてクビを飛ばす。とある塾のとある校舎では、異動先として、私のようなガンコ者が入ってきたことを煙たがり、完全なる「お客さま」として扱い、後出しジャンケンで首切り報告を人事課に伝え、移動勧告をする残酷な校舎もあった。「うちに職人は要らない」という迷言と共に、校舎長に異動の宣告をされ、人事課の嫌がらせを受けた厄介者は、本部の駅を中点とした3つの路線の終着駅に、打ち上げ花火の如くスッ飛ばされた。違う沿線を跨いでいれば、中年非正規雇用のシフトなどメーワク極まりない。私の揚げ足を取れれば、掛け持ち校舎に泥をなすり付け、私が吹っ飛べば、ガン細胞がなくなったキレイな校舎になる。

5教科全ておまかせセットの塾では、職人気質の寿司職人は不要なのだ。器に盛られたセットのお寿司に学生講師を混ぜたって、とりあえず大トロ社員講師がいるんだから、寛平巻きも河童巻きも大目に見てねと保護者にアピールできる。そんなことは百も承知。ただ、私は吹っ飛ぶまでであっても、出会った生徒たちに最善を尽くすことに専念していた。職人としてのプライドを捨てたくない。ただ、講師のボロ雑巾扱いや異動勧告の内容などは、そこらへんのチンピラよりタチが悪い。「卒業生の大学生が講師のバイトをしたがっている」という理不尽極まりないを通り超して、日本語として表現できない吹っ飛び方。その曜日の収入を確保してやるということで、向かった次の校舎では「ゴールデンウィーク明けのシフトなんて決まっているから、今頃来られても困る。仕方ないから模擬授業をやって合格したら1週間後に連絡してやる」という素敵な連絡、今も待ってます。退社しましたけど。そして、残った2校舎のうち1つの校舎長の裏切り見え見えの策略が、牙を向いてこちらに襲いかかってきた。ここまで引っ張って、お涙頂戴の老害講師の愚痴だと思わず、最後まで読んでほしい。

まず、人事課からの報告で、最寄駅の校舎がメインとなるはずが、たった週1回の勤務。この時点でトカゲの尻尾切りが来るという心構えはできていた。中1を2コマ、中2を1コマ。正直なところ、中2のクラスは相性の合わなかった。すると、いつの間にか上手くいっていた中1のコマが無くなり、中1が1コマで、中2が2コマに切り替わった。オレオレ詐欺の如く揺さぶってくる。すると、校長の抜き打ち授業チェックで、中1の授業見学があった。その日の終礼では、これ以上の褒め言葉は見つからぬほどの絶賛を受け、授業後の審査結果では「ここの授業展開のこの部分の項目での最高評価は、今までの授業評価をしてきた中で一度も付けたことが無い」という称賛の嵐。最寄駅の校舎でのコマの増加は、通勤時間短縮の大きなメリットとなる。少しはコマ数が増えると期待していた私が甘かった。

2週間後だったか、上手く回せていなかった中2のクラスで、ビデオカメラが回され、授業撮影が行われた。次の週に呼び出し。英語だけ先生を変えてほしいというクレームが2件ほど入ったということで、改善案をシェアするのかと思いきや、話し合いの時間0秒で異動命令書が、立派な書面で机の上に置かれ、夏期講習手前までで打ち切りになるという異動勧告だった。そして、私の授業は、塾の評判を落としかねないので、本部で研修の可能性もあるとのこと。6月1日に下された、人事課を通しているとは全く思えない暴君からの命令で、私は7月20日に強制的にその校舎を去らねばならなくなった。確かに、私のことを嫌悪している中2の生徒が多くいることは重々わかっていた。でも、私のことを心から信頼してくれる生徒だっていたのだ。そのことだって、しっかり分かっていた。私は、中2の授業を外され、3クラスある中1の英語を全て担当することになった。これ以上の屈辱を感じたことは、それまでの講師生活で一度もなかった。自宅のベランダのコンクリートを打っ叩いて泣いたこともある。それほどの屈辱だった。

でも、私は職人として残された授業は完全燃焼する。当然だ。1学期でお別れでも、最高の授業をする。そして、自分が1学期までで別れなければならないということは、一切伝えなかった。それからというもの、その校舎では、蛇の生殺し。中2から陰口を言われつつ、自分が飛ばされることは、絶対に言わない。他の講師は、私が校長から「ホメホメ詐欺」を喰らっていることを知っている。首切りの7月20日が近づいてくる。私は、職人としてのプライドを木っ端微塵にした校長に一撃を浴びせなければ、このまま講師として続けることはできないと判断した。最後の終礼で、思いっきり怒鳴り、思いっきり机を蹴飛ばそうと思った。何度も何度もシミュレーションを重ねる。もし、怒鳴り返してきたら胸ぐらを掴んで謝らせよう。それでも抵抗するのであれば、奴の顔面目掛けて拳を解き放とう。気の小さい私であり、借金がある私。でも、許せない。私は確信犯として奴に一撃を与えることを決め、腹を括った。傷害事件として損害賠償を請求されるのであれば、逆に告訴してやろう。それでもダメなら、その時に考えれば良い。とにかく時が来た。

その校舎での最終日。いつも通りか、もっともっとテンションを上げて授業をした。隣にある中2のクラスからどんなに文句を言われようが構わない。どうせ最後だからではなく、最後だからこそ、思い出に残るよう大いに盛り上がりたかった。そして、3コマ目は最後の中1のクラス。このクラスは、唯一、4月から担当していたクラス。最上位クラスということもあり、実践的なことでも、どんどん吸収していく素晴らしいクラスだった。最後の最後まで成長を見届けたかった。それを阻まれた私の怒りはボルテージを上げ、終礼での怒りの爆発の導火線はバチバチと着火していた。最後の最後。私は、残り3分だけ時間をもらい、今日の授業でお別れになるということを打ち明けた。みんな、ポカンとしていた。皆のその顔を凝視し続けることはできず、「気をつけ、礼、ありがとうございました」という授業の締め括りの挨拶をしていないと教え子たちに指摘され、最後の挨拶をし、そそくさと講師室へ戻った。さぁ、あとはゴングが鳴るのを待つだけだ。その塾のシステムは、授業後すぐに15分の演習の時間をとり、すぐに下校するというシステム。そして、15分経過。チャイムが鳴る。さぁ、シミュレーションのイメージも万全だ。

すると、夢にも描かなかったシチュエーションが広がった。中1の全クラスのほとんどの教え子たちが、列をなして私にサインを求めてきたのだ。演習の時間の後の2分程度で、どうして私がいなくなることが全クラスに知れ渡ったのだろうか。火に油を着火すると燃え上がる。そんな感じだ。列がどんどん長くなる。事務の女性2人が、驚愕の顔で「サイン会になっている…」と言っていた。2番目に嫌いな副校長がサインの列を整頓している。中2生が通れない。なんという逆転。これ以上の報復はあるのか。怒りに麻酔がかかる。全く、全く、全く予想していない。こんな見返す方法なんて思いつくはずがない。列が長くなる。どんどんと長く…。そして、列は輪になって私の机をくるりと囲む形になった。こんな僥倖はあるのだろうか。「先生が私たちのことを忘れなくても、私たちが先生のことを忘れまーす」「センセー。本当にありがとうございました」。ミラクル。人生で味わったことのない奇跡。

気づくと終礼が始まっていたが、怒ろうにも怒れない。最高の光悦感の中で、どうすれば拳を振り上げられるほどの怒声を出せるというのか?「先ほど、とても盛り上がっていらっしゃった佐藤先生が、本日で終わりになります。ありがとうございました」と言っている校長は怪我をすることはなく、私も傷害事件を起こさずに済んだ。私は、職人としてのプライドを守るために暴れようとした。そして、別れを告げることなく、職人として恥じない授業を最後までやり遂げた。そして、最期に職人としてのケジメをつける。校長に突っかかって「オトシマエ」をつけなければ。職人としてのプライドを守るために、職人であるためのステージと資格を同時に失おうとしていた。しかし、私は、自分の教え子から職人を続けられる資格を得たのだ。愛を与えていれば、愛が帰ってくる。この夢のようなかけがえのないサプライズプレゼントを、私は決して忘れることはない。トラウマになるような傷を受け、講師生活にピリオドを打ちかけた。でも同時に、それを止めてくれたのは、自分の教え子たち。私のDNAをしっかり受け止めてくれた教え子たちが、私の理性を保たせてくれたのだ。

-思考力