思考力

欲望より怖いヤツ

巣篭もり生活の中で、頻繁に耳にする「コロナ太り」。在宅ワークと自宅トレーニングを両立させようとも、多くの人々が食の誘惑と、慣れない筋トレにうまく対応できずに、お腹周りを気にしているようだ。私も、一回目の緊急事態宣言では、ぶくぶくと太り続けつつも、「インドボード」という最強トレーニングマシーンを相棒にし、一気に9キロ減を達成した。しかし、最近は気を抜いており、体重計に足を乗せて絶望感に苛まれることを避けている。インドボードには乗れるのだが、今の私は、体重計という心の不安定を招き入れる乗り物には、怖くて乗れない。

「48時間後断食しゃぶしゃぶ」も、いつの間にか「24時間後断食しゃぶしゃぶ」となり、飲食店同様、時短ダイエットとなり、挙げ句の果てには、しゃぶしゃぶ店に行って、注文するという行為が億劫になり、着替える必要もないことを理由に、自宅からの方角でいうと反対方向にあるコンビニに行って、お店のオリジナル商品のチョコを3袋と、コテコテの弁当にホットドッグ、これまたオリジナルのサイダーにポテトチップを買って、家でむさぼり喰う。結局、しゃぶしゃぶ店と変わらないような不健康なジャンクフードを食べながら、YouTubeで「健康な食生活」に関する書籍の要約動画を見ているわけだから、食べ終わった後の虚しさは計り知れない。やはり、お腹周りに、アドレナリン垂れ流しで毎晩摂取している「脂質」と「糖質」がこびりついていることを否めない。

いったん気を抜くと、一気に元に戻ってしまう。この気の緩みは、食生活以外にも別のケースでも経験しており、恐怖の「一本オバケ」と言われるタバコの強烈な依存性も同じ。私は、一時期、起きている間は、酸素よりもニコチン満タンの煙を吸っている状態に等しく、1ヶ月で前歯が真っ黒になるほどのヘビースモーカーだった。歯医者も呆れ顔で、「タバコを辞めろとは言わないが、せめてタバコを上下の歯で軽く噛んで、前歯にヤニを着けるな」と指導され、ピンセットを軽く噛む練習をさせられた。私も、生涯吸い続けるであろう「悪魔の煙」との「健全な」付き合い方を考えていたが、今や、10メートル離れていても鼻のセンサーが反応し、タバコの煙の方角を嗅ぎ分けることができる。でも、でも、でも。でも、仮に一本吸ったら、確実に昔より酷いスモーカーになるのは分かっている。こんな嫌煙時代にコロナが加わった今、昔より酷い依存症になって良いことなどは一つも無い。当然だ。健康と引き換えに、お金を燃やしているわけで、その燃やした税金は、コロナ対策の緊張した議会で、ウトウトして夢の中にいる悪魔の給料になる。断固拒否。

次に、ギャンブル。これも酷かった。どうしても辞められない。よく、辞めたいなら店にいかなければいいだけの話だという、全く事態の深刻さを理解していない「空回り」しかしていない意見があるが、ギャンブルの依存性は普通ではない。朝9時になると、カラダがソワソワと落ち着かなくなり、9時半の開店時間には気持ちがたかぶっている。席に着くや否や、万券をシュレダーにかけるが如くバンバンと台に突っ込む。諭吉が無くなると焦りが頭の中でグルグルと廻り、銀行の残高の記憶を辿る。店側は完全に確信犯であり、店の中にATMを設置している。依存症のニンゲンを馬鹿にしているというより、生き物として考えていないのだろう。そんなことを思い出しながら、YouTubeのおすすめ関連動画には「パチンコ依存症の末路」のような動画が出てくるので、自分の心の奥底では、まだ打ちたい欲求でもあるのか。いや、もうそんな自分ではない。私は、過去の自分の姿を動画の中で観つつ、やはり人生の浪費としか言えない愚行をし続けていたという悔恨の念だけを反芻するばかりだ。

パチンコも、過去に「1発オバケ」を数回やっている。タバコと同じ。依存してしまったら、脳には一生消えない傷跡が残り、少しでも同じ行為をしたら、前回よりもさらに深い泥沼にはまり込んでしまう。アルコール依存症では、そのような現象を「スリップ」という。買い物でも薬物でも同じ。軽い気持ちで始めたとしても、その度合いが過ぎれば、必ず何らかの依存が生じ、人生そのものが蝕まれていく。

かつて、私の恩師の紹介で、教会に通っていたことがあるのだが、その恩師が尊敬している人物に言われたことを教えられた。「人間にとって一番怖いものは何かわかる?」「欲望ですかね」と恩師が答えたところ、「違う。人間にとって一番怖いものは、お金。お金は簡単に人を変える」という教えを受けたそうだ。「お金」。何やら、やけに冷淡な答え。しかしながら、これ以上ない事実とも言える。「欲望」というような、やんわりとした目に視えない何かではなく、日常生活で絶対に欠かせない「お金」。そう考えたとき、どのような形であれ、お金は依存するときに生じる人間にとって「一番怖いもの」だ。

私も、特にギャンブルに依存していたときは、人間として大切なものをどんどん失っていた。そして、自分がどんどん無慈悲な人間に変貌していくことにも気づいていた。依存をし、それを克服したときに感じる、過去の自分の失態。失った「お金」。依存している人にとって、本当に逼迫してくる金銭的な問題が、切実な機関銃の弾の如く襲いかかってくる。過度な依存によって失うものが、人間関係、社会的地位、そして何よりも「一番怖いもの」であるのだから、その依存の危険性をいち早く察知すべきだ。お金を基準に考えることは、何やら卑しいことのように感じる方も多いし、日本の古くからの習慣や価値観が、そのように「一番怖いもの」から目を背けさせてしまっている。依存している人にとって、絶対に目を背けられない「一番怖いもの」に対して、欲望という曖昧な基準ではなく、「お金」という具体的でハッキリとした基準を教え、これからの人生を考え直すキッカケにしなければならない。そこから全ての新しい話し合いをしよう。

-思考力