思考力

魔女狩りトイレ

『トイレの神様』という歌が、けっこう前に流行した。その歌が流行るもっと前、私が生まれるもっと前には、「トイレ掃除は美人になる」という考え方があり、その歌の大元のモチーフになっていたのが、確か、その歌手の祖母の昔話からヒントを得た歌だったという記憶がある。つまり、昔の人の考え方が、ぐるっと一周して孫の世代に受け継がれ、それがヒットしたという流れだろう。トイレには神様がいるわけだから、汚いものだから掃除をしないというジンクスを打ち破るにはもってこいの歌詞だ。私も、掃除をするときは必ず「トイレ」から始める。一人暮らしの男のトイレなど、小さい方を放出する時には、便座を上げて「ションベン小僧」のようにジョロジョロと用足しをすることになるので、しばらく掃除をしていないと、尿が跳ねてかなり汚れる。目に視えない尿の噴液も含めると相当汚れているわけで、トイレから掃除をスタートすることで、一番汚い部屋を浄化して「神様」を歓迎することになるので、実に気持ちがいい掃除のスタートとなる。また、モップで水拭きをし、捨てる寸前のウェットペーパーをトイレの床の拭き上げに使用すれば、とてもエコでピカピカなトイレの床となる。

最近の自分の怠惰な生活は、まさにトイレの神様に対して「失礼」を超越して「冒涜」な状態。普通の一人暮らしの男性からすれば十分キレイなレベルであろうが、私のトイレ掃除の合格基準に全く入っていなかった。昼過ぎどころか、お子様のお菓子タイムに起床するという、最近の怠惰な生活リズムの中、とりあえずトイレの神を崇め敬うことだけは怠らぬよう、意を決してトイレを磨き始めた。そして、トイレのウェットペーパーが容易に黄ばむほど、ごっそりと尿素が払拭され、まさに「神がかり的なやる気」がみなぎり、風水的に一番大切な神の入り口である「玄関」の掃除まで、気づけば終えていた。特定の神に対する信仰心を持たぬ私だが、今日の私のやる気アップの原動力を与えてくれたのは、他ならぬトイレの神様。処分できずにグズグズして溜まっていたダンボールを、近所のスーパーのリサイクルボックスに投入し、今日から再開すべく「48時間断食後しゃぶしゃぶ」の店へ向けて車を走らせた。

ただ、何やら身体に異変が生じた。腰が痛い。スーパーのちゅ車上では、ダンボールを持ち上げることが難しいほど痛みが出てくる。次に向かった薬局で、今後頻繁に神様を招き入れる為のトイレアイテムを購入するときには、すでに財布を取り出す動作すらツライ状態。挙げ句の果てには、車の座席に座ることができない。ドアを半分開けたまま、半腰の状態で車にしがみついている。激痛で顔を歪ませているのだが、マスクをしているので周囲からすれば「ツッコミ待ち」の芸人だ。なんとかシートに座ると痛みは不思議と消えたので、そのままシャブシャブ店へ。ところがどっこい、今度は、車から出られない。再び半腰の状態で「ツッコミ待ち」の姿勢。スタッフが出てきたら大変なことになる。いつもムスッとして注文している人が、半腰でマスクをしながら、ジッと睨んでいる訳だ。

特定の身体のひねり具合での痛みが強いので、ゆっくりと体勢を整え、とりあえずシャブシャブ屋での最悪の事態は避けられた。もちろん入店などできようがない。仮に、トイレに行きたくなったら、再び「ツッコミ待ち」の姿勢になってしまう。そそくさと車のエンジンをかけて、いつも通りコンビニで、いつもの油ギトギトフードを買う。しかし、歩く速度が亀。Wi-Fiが届かないスマホのように、ほとんど固まっている。店員も怪訝そうな顔もちでこちらを見る。そりゃそうだ。一歩どころか、半歩。いや、どこかの漫画の「鉄骨渡り」のような歩幅でなければ、前進できないのだ。なんとか駐車場に辿り着くと、愛車の隣ギリギリに他の車が停まっている。しかも、向かい合って停まっているので、私が運転席に座るまで、隣のドライバーは車から降りられない。そして、例のスタイルである「ツッコミ待ち」で固まってしまった。向こうとしては、私がピッタリ駐車されて意図的に座席につかないと勘違いしているようで、ずっと睨まれた状態。別に、昭和のヤンキーマンガではないし、こんな身体だったら、小学生でも勝てない。マスクを外して「スミマセン」と言うと、向こうも読唇術で事の異常さを理解してくれた。

家に着くと、今度は荷物を下ろすどころか、椅子に座れないし、立っていることもできない。つまり、日本史の教科書の最初のあたりの原始人から人間になる中間あたりの姿勢しか取ることができなかった。なんとか布団に横になろうとしたら、意気揚々と出発する前に神様から与えられたモチベーションで、布団を綺麗に畳んでいた。この状態で布団を敷くなどという芸当は出来ない。「例の体勢」のまま、iPadで腰痛関係をググると、「ヘルニア」か「ぎっくり腰」。どちらも経験があるので、自己診断はできる。下半身に痺れはないし、身体の一定の角度で激痛が走るということは、腰の捻挫である「魔女の一撃」の方だ。海外の人は、なんともオシャレなネーミングをつけるものだ。これで、前者か後者かは、判断できると思う。

今、肩の治療で使っている、一日2回以上貼ることは禁止されている、病院でしか処方できない強烈な湿布があるので、それを貼った。さすが病院処方限定の湿布。みるみる幹部の痛みが消えていった。何かの時のために、今度の受診の時にもらっておく価値が十分ある湿布だ。トイレの神様が守ってくれたのだろう。ただ、その代償としては、あまりにも痛すぎる試練。申し訳ないが、しばらくの間、神様を崇拝する掃除は、肉体的に不可能だ。おとなしくしてブログの更新でもしていなさいという御言葉だろうか。自分としては、気を奮い立たせて怠惰な生活リズムを叩き直そうとしたのだが。

私が、最後の会社を辞める決め手は「ウィルス性肺炎」だったことは、何度かこのブログでもお伝えしている。年度の変わり目、新型コロナウィルスの影響で、学校を含め、塾も営業できない状態の中、私も往復3時間以上かけて、わざわざコロナをもらいに行くようなことはしたくなかったので、退職するには十分すぎる理由での退職だった。「電車に乗るのが怖くなり、申し訳ありませんが、辞めさせていただきます」。これに対して「車で来れないか」という応え。電車で往復3時間以上の道のりを、毎日車で通勤したら、どう考えても事故を起こす。それを伝えて、やっと納得してくれた。LINEのグループを抜けていなかったので、タイムラインが残っていたのだが、そこの直属の上司が、思いっきり電柱に突っ込んで車が大破した画像があり、しばらくは電車通勤になるとのことだった。下手な正義感とともに、命を落としかねなかったことを感謝したい。その頃から、トイレ掃除には特にこだわっていたので、やはりトイレには神様がいるのだろう。

 

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