思考力

2500年以上のシロモノ

要するに、朝起きて朝日を浴び、日中もメラトニンを分泌させるための自然の光を浴びる。食事は、一日一食が理想で、炭水化物を避ける。適度な運動をして、筋トレを行う。夜には自然と眠くなって、そのまま快心の睡眠を送る。そうすることで、肉体的にも精神的にも、優れた毎日を送ることができる。今、月曜の朝の5時過ぎ。先週末のバタバタした家族の揉め事で、案の定、多少の精神状態が崩れつつも、上記の健康促進を全て叶えてくれる「サーフィン」が、私を救い、適当なBGMを選ばなくても、Macを弾く自分の指は軽快に動き、頭もクリアだ。

やはり、サーフィンの効能というのは、少なくとも私にとっては大きい。ぶっちゃけた話、「サーフィン最高」とは言いつつも、多少、乗り気がない日もある。ただ、ウェットスーツに着替え、ボードに腹這いになって沖に出て、キョロキョロと乗れる波を探していれば、ストレスがリリースされている。今は、昼過ぎに海へ行って波乗りをするので、東京にいた頃のように、寝起きの気分を気にすることも、苦手な車の運転を心配することもない。このように、生活の中にサーフィンを取り入れられていると、くだらない誰かからの承認欲求など弾け飛ぶ。

根がセッカチなので、家の中では常に落ち着かず、癒しの周波数が流れてくるYouTubeの瞑想動画を聴いたところで、実際に瞑想をして足を組んでいたとしても、心の中は「迷走」するばかり。だったら、海の中で波待ちをしているときに、少しだけ目を瞑って瞑想することの方が、私にとっては現実的で長続きしそうだ。実際に、20後半の頃に買った「サーフィンヨガ」のビデオテープにも、海の中で腹式呼吸をするトレーニングもあったし、次回の波乗りの時にでも実践してみよう。

「健康は富に勝る」といえど、「富」がなければ、精神的に落ち着くことはなく、その不安感が積み重なってくると、肉体的にも不調が出てくるわけだから、やはり、ある程度の余剰資金がある状態でなければ、先ほどの格言を言い切ることはできない。こんなご時世、私も多分に漏れず「貧乏スパイラル」に陥ってしまう人たちが、自己啓発やビジネス仕事術を身につけるためには、ある程度の「イニシャルコスト」と、高いモチベーションを維持できる「健康」の両方が必要だ。ただ、この両者を、同時に確実に上手く使いこなすことは極めて難しく、その原因も多岐にわたる。

ただ、行き着く先のないハムスターの車輪の上で、ゼーゼーと息を切らせている人は、やはり自分の人生を悲観的に見ていることは確かだ。このような場合、自分と誰かを比較して考えている場合がほとんどであり、周囲から「チクリ」と批判や非難、悪口でもあろうものなら、自分の心の中の秘密基地から抜け出せなくなってしまう。まさに、この典型的な例が「引きこもり」の問題で、昨今の「8050問題」などの深刻な問題も、コロナ禍において、氷山の下で揺るぎない根を張っているに違いない。

Small animal hamster runs in the wheel on a white background.

『反応しない練習』というベストセラー本があり、そこには、2500年以上受け継がれている原始仏教的な教えが背景となっている。この本のバックボーンは、どんなことがあろうとも、世間一般の考え方や意見などに耳を貸さないということになろう。ただ、自分を取り巻く全ての事象に対し、自分の心の中を頑なに守るというわけではなく、ひたすらに自分の心の状態を判断をするということだ。確かに、自己判断をして、周囲の声を遮断してしまえば、大きく偏った自分の価値観から解放されることはなくなる。しかし、周囲の批判の意見ばかりに耳を傾けてしまうのであれば、そのまま現状に対しての自己否定につながっていく。やはり、私のブログのテーマになることの多い考え方である、「物事を俯瞰的に見る」という考え方は正しい。

Row of Buddhas at Wat Arun, Bangkok, Thailand.

人は必ず死ぬという避けられない事実。そこに恐怖を感じれば、自分の肉体的な安全を確保することは当然のことだ。また、人間は「狩猟民族」である古代からの“DNA”を引き継いでいるのだから、いったん孤立して心の洞穴から出てくることは、大変難しいことになる。手を差し伸べられたとしても、いったんグループからはみ出してしまったのであれば、大きな不安と、そのグループからの批判的な声も、仲間外れになるかもしれないという恐怖をも感じるようになろう。「死」という概念が、捉え所のない未知なる漠然とした事象ではなく、科学的に証明されるような現象であるという「研究」も行われているようだが、やはり、人間が「未知」を「既知」にするという欲求は、好奇心からではなく、不安や恐怖から逃れうるための術を追求しているといえる。

抗えない本能に対して、何とかして理解を求めようとするのは、人間の合理的な働きかけなのか、これからの進歩への不都合な追求なのか。一つだけ確かなことと言えるのは、人間には「理性」があり、その理性というのは、限られた時間的制限の中で起こり得る非常事態の中で、いかに冷静に具体的な対処法を見つけられるかを、衝動的にではなく、論理的に考えられるようにする「智慧」を身につける習性を持っているということだ。この人間の本能的習性を、きちんと理解しているか否かで、無駄な人生を浪費しないで済む。やはり、自分を振り回すような声に「反応しない」という考え方は、合理的である。

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