思考力

変化して進む価値基準

全体的には、上向いていると言えるのだろうか。少なくとも、一年前のお財布状況からは、正反対の方向へ自分のベクトルは伸びている。さらに上という概念はない。あくまでも、貧乏か生活が安定するほどの余裕があるかという2択になったときに、自分の重さの秤が、どちらへ傾くかが重要なのであって、自分の生活満足度を、収入や預貯金で大きくしようと考えるべきではない。そんなことを考えながら、夕方のホトトギスの鳴き声を聞きながら、Macのキーボードを弾いている。

今朝、思いもよらぬアクシデントとして、パソコンのマウスが動かなくなるということが勃発し、今、新しいマウスの具合の様子を確かめることも兼ねて、ブログを書いている。今のところ、とても順調に滑り出すマウスで、凹凸感のあるシルバーのカラーが、Macの本体のカラーとマッチングしていて、とても良い感じだ。インテリアなどのカラーで迷ったら「グレーを選べ」なんていう面白い社長がいたことも思い出しつつ、こんな机の上の電子機器を眺めながら、文字を入力するのも面白いものだ。

とりあえず、マイナスの経済状況の財布が黒字になり、今後はゆっくりと自分の人生を好転させることに集中できるようにはなった。自分の中で、どうしても前へ踏み出せなかったこととして、やはりイニシャルコストのことや、生活していけるだけの預貯金などが足りていなかったことが挙げられる。やはり、何やかんや言っても、人間は弱肉強食の世界から脱却できたのは、貨幣価値に重きを置いたからであって、そこを完全に否定することは、誰にも不可能なことだ。宗教や哲学の世界であれ、やはり「お金」の上で成り立っていることは事実なのだから、そこを無視してしまうことは、いわば生きていることを前提としない空論と化してしまうので、やはり避けなければならない。

今、再び東京へ戻り、自分の居場所を探しているのであるが、やはり自分の中でのやる気と、自分の昨年の収入には大きな開きがあり、なかなか家賃保証などの審査に通らない。それならそれで良いとは言えず、せっかく東京にある理想的な英語専門塾に入社できたのだから、正社員として活躍できるまで、いや、もっと先まで歩を進められるように、動いていくための「住処」を見つけなければならない。そこには、やはり「お金」という基準が設けられている。やはり、ここを蔑ろにすることは、難しいようだ。

どの側面から考えても、同じ結論に落ち着いてしまう問題なのであれば、どのように根本的な解決の糸口を見つけられるのかどうかを考え出さなければならない。今の自分にとって、住まいを見つけ出すことで生じた「お金」の問題を、今後の人生に悪影響を与えないようにする術を考え出さなければならない。やはり、人間の価値基準の大きな柱である「お金」というものの存在意義を、再度見直さなければならない過渡期にあるのだと思う。

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