思考力

入り口を選別する

玄関を整える。たったこれだけのことなのだが、こんなに複雑に運気に直結する場所もないようだ。昨日の記事で、二階に住む若い住居人の男の人の話をしたが、今朝も同じ人が階段を駆け下りていく音が聴こえ、足早に仕事へ向かっていった。顔は見えずとも、いつも通り元気に出社していったことが分かる。昨日、盛り塩セットが到着し、玄関からは2対の盛り塩がセッティングされていたので、とうとう怪しい宗教に入信してしまったかと思われたのかもしれない。ただ、これ自体、運気を限りなく前向きに向上させたいという願望から行われている儀式なので、迷信とは言わないまでも、限りなく「明神」に近いものがあると言えよう。

昨日は、インターネットのルーターと、処分し切れなかった置物、不要だと判断した延長コードや何やら。もう、何を処分したかも思い出せぬアイテムをリュックに入れて、一駅離れたリサイクルショップに売却しに向かった。まだまだ酷暑の中、滝のような汗をかいて自転車で店舗に向かう中、その開いたスペースに置くべき開運風水アイテムを考えていた。結局手に入れた物は、何もなく、現在とても興味のある観葉植物の物色をした程度だった。ゼロイン複数アウトとなり、落ち着いた状態で、もうガラガラになった玄関に置くべき置き時計を購入しに、帰宅してから再度自転車を漕ぎ直すことにした。そっと玄関に置いた時計は、とてもすっきりとしていて、シンプルな玄関に、そっと溶け込んだ。

今日は、市の健康診断がある。昼過ぎの検診なので、午前中は丸ごと時間があり、また掃除をしていこうと思っている。厄払いの意味も兼ねているのかもしれないが、もはや断捨離をしなければ落ち着かない状態で、軽い強迫神経症のような感覚になっている。躁状態にブレーキをかけているならいいのだが、アクセルを踏み込んでいるのならば、かなり危険である。ただ、風水というのは断捨離が基本であり、不要な物を買わないことに直結している。つまり、どんなにお金を散財しようとしても、それを本当に使うのかと自分自身に真剣に問いただせば、ほとんどのモノは「NO」という着地点に落ち着き、スルーされていく。こんな調子で、身体に悪影響を及ぼしている不調があったら、それも検査で発見してもらい、お清めのごとく、危険な病原菌などを身体体から「スルー」させてもらいたいものだ。

視界を遮る物がない。風通しがとても良い。頭もスッキリとしているから、何をやるべきかというのが整理整頓されていく。物を処分すること。物の必要性を吟味すること。そうやって自分を律しながら生活していくと、生き方そのものにもメリハリがつくもので、これを本当に習慣化してしまえば、とても良い人生をおくれそうである。まだまだ断捨離風水のビギナーだ。でも、このブログを継続できているのと同じく、習慣化した掃除や、物の必要性の有無を考え続けることで、引き締まった人生を送る自信は確かにある。良いことがあると信じるところから、全ての良い運気というのは生じるのであれば、タナボタ的な不覚的要素に期待するのではなく、前向きに向かい入れるという発想を優先させることが今の自分の気持ちである。

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