思考力

タコ起きて考える

やっとのことで、新しい物件を見つけられ、めでたく放浪の新天地探しを終えることができた。とにかく長かった。時間ばかりではなく、外房から内見の物件へ向かう距離的な長さであっても、とにかく骨が折れることが多く、これで解放されるのかと思うと大きな肩の荷が下りる。実際のところ、オーナーの人柄と賃料に不安が残るが、もうグズグズしていてもキリがないし、本当に多くの物件に当たったので、細かなところは多めに見なければならなかった。もちろん先の2点は、細かなことではないのかもしれないが。

安堵のためか、昨日は眠りに落ちるのが早く、ぐっすりと眠れた。安堵だけではなく、寝る前の瞑想も上手くいっているいるようで、これから不眠で悩まされることのないように期待している。猛暑で茹だるような暑さの中、茹でダコのようになって熱中症になるのも避けたいし、これからの計画が不調に終わってしまうことも避けたいものだ。やっと手に入れたチャンスなのだから、それを大いに活用していかなければもったいない。

これから「50歳」に向かって生きていくわけだが、考え方そのものは大きく変わったかといえば、それほどではないのかもしれない。どこかの企業に属していたわけでもないし、妻子を授かったわけでもないからというのが理由なのだろうか。今回の引っ越しは、4回目となる。同じ市内ではなく、東京から千葉へ引っ越し、千葉から東京へ引っ越すという長い距離の引っ越しだ。このような環境の変化で、自分はどのように刺激を受けるのだろうか。こんなところで、私の考え方が良い方向へ変われば良いのだが、そもそもの良い変化というのが分からない。何を基準とすれば良いのだろう。

結局のところ、人生には何らかのアクションが必要で、思わぬ外的要因でアクションを起こさなくてはならないような場面だって出てくる。去年などは怪我で死にかけたわけだし。人生には、その各々の時間の流れの途上の中で、何かしらの動きを出さなければ、そのまま流れていくばかりではなく、溺れてしまうことだってある。それならば、海底に沈められるより、泳ぐことに意味を感じる方がいい。そんなことを猛暑の寝起きのぼんやりとした頭で考えるのであった。

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