思考力

考えるエキスをカクテルする

今思い返しても、顔から火が出るほど恥ずかしい過去であり、それを墓まで抱えていかなければならない程の黒歴史がある。自費出版本を出し、多くの人から反感を買ってしまったこと。さらに、その契約時の詐欺行為で、借金で首が回らくなってしまったこと。この消しようもない過去を、引きずって生きていくことは、とても苦しいことである。ただ、自分に酔って書いているときの多幸感は高く、結果となっては1000部どころか、数百部程度しか売れなかった本には、魂を込めて書いていた。

自分は文才がずば抜けていて、この才能を世間に知らしめられると思うと、毎晩毎晩、興奮が収まらなかった。ここで一つだけ得た経験がある。私は、その恥ずかしい本を書いている間、一語一句に魂を込めて書いていたことに変わりはなかった。「伝われ」と強く祈りを込めて書いていたのだ。ここに関して、決して嘘偽りはない。だから、巷で売られている本の中に、良い加減な内容の本というのは、皆無に等しいと言える。どんな書籍であれ、見たことも聞いたこともない誰かに伝わるように、自分の最大限に伝わる気持ちを込めて書かれているのである。

書き手の想いがギッシリと詰まった本というのは、書き手の人生の縮図であるり、ギューっと絞り出されたエッセンスを読者は受け取れるわけであるのだから、1000円程度で買える本というのは、非常にコスパがいい。これほど良い自己投資はないはず。貧乏人のマインドは、欲望のおもむくままに金を使うのに対し、貧乏人のマインドは、常に後の資産になるような「投資」をする。本を買い、それを元手に自己投資をするというのは、素晴らしい自己投資だ。

最近の私のブログでは、もう、手書きの原稿を作らなくなった。タイピングしている指の動きに任せて文章を作り上げていく。こう考えると、私のブログの内容が薄まってしまったのかと思えば、それほどでもないような気もする。一年以上、手書きの下書きを用意したブログを書き続けていた私は、もはやそのような文章の基盤となる下敷きを必要としなくても文章をかけるようになっていた。これは、素晴らしい成長だと思っている。

やはり習慣というのは、自分の中の能力を高め、文章を書くというのは、今までの人生の集大成でもある。さらにアップデートさせられるように、今度は、書いている内容を「カクテル」しながら自分の中に取り入れ、自分の考えを素直に相手に伝えられるように工夫する術を学ぶべき時が来たのかもしれない。

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