思考力

狂言幕に魂を入れて視る

インターネットが世界を変えた。これは、紛れもない事実である。たとえ、それを否定して生きたとしても、猛スピードで流れる今の時代の変遷に取り残され、自分がどこに行き着くのかわからないまま、カオスの世界でさまようことになるだろう。

重い辞書をリュックに入れて英単語の意味を調べ、その語源をたどりつつ、その単語の背景の歴史まで知るという学習に、かつては膨大な時間と労力が必要だった。今は、違う。スマホを取り出して検索すれば、一瞬で知らない単語の意味はもちろん、そこからリンクを辿っていけば、自分が求めていなかったような有益な情報を手に入れることだってできる。辞書を持ち歩いて未知なる何かを調べていた当時、山に芝刈りにいくかの如く、ミカン箱のようにデカくて重たい「当時のスタンダード」だったパソコンを持ち歩いている人を見かけたことはなかった。現代人は、ミカン箱とは比較にならない、板チョコのような物体を指でいじっている。20年前の人が、タイムマシーンに乗って現代人を見たとしたら、当時と変わらないズボンが四次元ポケットになっており、そこから出てくる「スマートフォン」と呼ばれる魔法の道具を、指で弾いている異様な光景に腰を抜かしてしまうかもしれない。

人間の脳味噌は安定を求めたがるので、新しい環境に飛び込むことを本能的に恐る。これは、脳の仕組みなので仕方がない。ただ、徐々に変化していく時間の流れの中で、自分だけが孤立した存在になることを恐れるというのも事実。もしも、独りのOLが、仲良しグループのランチタイムに同伴せず、淡々としてムスッとブログを書いていれば、やはり孤島で作業していることと同じであり、結束力の強い派閥からは見事に弾かれてしまう。しかしながら、このような環境であっても、自分の道を切り開いていこうとする者の人生は、明るい。特に、これからの時代は、個人で生きていく力が重要であり、薄っぺらいニンゲン関係という、長い物に視えないヒモを巻いて丸くしたような環境からの脱出が、必要欠くべからずの条件なのだ。

初めて傘をさして歩いていた人は、もちろん奇異な目で見られていただろうが、それがスタンダードとなり、多くの人たちは、どうしてそのような考え方ができたのかという興味を持つ。やがて、周囲の人々は、その便利なアイテムの発案者のアイディアに関心を集める。「どうしてリンゴが木から落ちるのか」という事実に興味を抱いて、日夜、その疑問に対して研究をした者の業績が、今の時代の物理学的に不可欠な概念の基盤となっている。ランプに対して強い興味を抱いて、それを追求した人の努力の成果が、活動できない夜の暗闇の世界を変え、日中と同じく、光の中で活動できる状態にした。

偉大な発想というのは、常識を疑うことから始まる。ただ、厄介な問題は、やっと自分のアイディアが5月晴れの如く閃いたとき、周囲は自分の顔の周りをブンブンとハエのような批判と嘲笑の騒音を立てて飛び回る現象。それでもなお、うるさい雑音をもろともせず、自分の考えをパーフェクトになるまで、どこまでも押し極められれば、それは大きな成果となることもあり、その偉業がネオスタンダードになれば、光の元に集まってくる羽の生えた虫のような外野の興味が集まってくる。

新しい発想や成長の一番源泉となるのは、一般的な価値基準からではなく、初心と未来を繋ぐ自分の中でブレない信念であり、そこを軸として結果を出せば、綿アメのように周囲がクルクルと巻きついてくる。これは、過去の偉大な発明の歴史の規定性であるので、これを曲げることはできない。世論の常識というのは、極論するところ、過去に蓄積されたデータを基にしている理詰で構成された「こじつけ」であり、そこから奇抜な発想というのは生まれない。“inspiration”という単語は日本語にもなっているが、“in”「中」に“spirit”「魂」を"tion"「(入れる)こと」という語源で構成されており、閃きを伴った新しい発想や考えの源は、やはり世間で吹聴されている常識を疑い、自分の閃きを信じることから始まる。「地球が回っている」と命をかけて主張した勇者もいるが、コペルニクス的発想で、実際は全てが逆であったことも多々あるのだ。

そうなってくると、一瞬で疑問が解決できるインターネットという魔法の世界で得られた情報は、ほとんどが過去のデータで構築された結果の集大成であり、一瞬にして現在の常識に埋れてしまう危険性だってはらんでいる。もちろん、過去のデータの全てを疑ったところで進展はないし、今の快適な生活を存分に享受することで、昔では考えられないスピードで、情報を効率的に運用することができる。ただ、やはり常に心に留めて置かなければならないこととして、過去の生活の基盤となっていた生産物は、時間の変化とともに輝きを失うことは事実であり、新しい時代を支える有益な財産を得るためには、瞬時に得られる情報からではなく、個々人が抱いているインスピレーションから誕生するのだということを忘れてはいけない。

既存の常識から逸脱して、新しい領域を発見するために必要なことは、まず主観を入れずに過去から現在に至るまでの客観的データを分析し、自分の思考回路を整え、それと照合して自分の考えを明確にすること。やがて、そこに新たな発見があるのであれば、自分の考えを裏付ける論拠とともに、自論の主張をしていけばいい。そして、そのような理想的な発想の導き出すために不可欠なことは、思考力の養成と、真に物事を考える力である。私は、この考え方を常に持ち続け、自分の予備校を支えるポリシーとしている。

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