思考力

おぼこ鍋

独りで「しゃぶしゃぶ」に行くようになって久しい。当初、周囲の目が、まるで自分一人を見つめているのではないかという被害妄想的な違和感を覚えつつ、スタッフの言動一つとっても、やはり気になって仕方なかった。気にならないはずもない。鍋、特に店舗で鍋を突くというスタイルは、普通、複数人で楽しみながら行われるべきであり、そのため、皆が輪を囲めるように「テーブル」しかない。言い換えると「独り用」のカウンターというものが存在しない。バーカウンターであれば、独りでシブいポーズを決めながら、ハイボールをチビチビ呑みながら、ジャズの音色に酔いしれるのだろうが、しゃぶしゃぶ店では、そういうわけにもいかず、「独りしゃぶしゃぶ」を始めた2週間程度は、お肉もお野菜も、あまり味を楽しむことができず、自分の心の壁が障壁となって、ほとんど味覚を感じられていなかった。昨今の「ヤツ」に感染した場合の味覚障害ではないので問題はないし、周りが「ガハハ」と大笑いしている中で、独りを堂々と楽しむ姿勢というの勇気は、大切にしたいと思っている。最近では、このご時世に、よくもまあ「対面」しながら、他人の唾液のついた箸を入れた鍋をシェアできる神経を敬したいと思っているところだ。まぁ、仲間に入れないでいる状態で、集団を哀れむのは、大学生の頃の独りぼっちのときの心境と変わらないのかもしれない。

幸いなことに、私の住む場所の大きな道路には、大手チェーンのシャブシャブ店舗が2軒あり、毎日行くと流石に恥ずかしいので、一日置きにローテーションを組んでいくようにしている。金銭的に辛いかといえば、さほどでもなく、あまり表には出していないような早い時間の「お得なコース」があり、それを利用すれば、一人暮らしの男の食欲を十分にコスパよく解消できる。何といっても、ボイルした肉と野菜を好きなだけ食べられるわけだから、こんなにヘルシーな食生活もない。1日一食は、最近の食生活の研究で、最も良しとされている回数である。そして、一人暮らしというのは、何やかんやで自炊を怠りがちであり、たまに多く食材を作り置きして、冷蔵庫にストックしていたとしても食べないで放置している。気づくと、賞味期限的に微妙なモノとなっていて、不気味に変色していたりする。これを処分するのは、本当にツライので、食べようとするのだが、やはり美味しさという観点からは頂けない。結局、油ギトギトコンビニ弁当に、コテコテスナックとチョコレートなどを買ってしまえば、軽く独りしゃぶしゃぶの金額を超えてしまう。総括して、独りしゃぶしゃぶの勝利というところだ。

そんなわけで、シャブシャブは、私にとって最強の薬である。怖いことがあるとすれば、スタッフがニッコリして「いつもありがとうございます」的に、お得意さん扱いしてくるのではという点である。まだ、そのような惨事に見舞われていないが、私が二日おきに登場していることは明らかであり、向こうも、私が「話しかけないでねオーラ」丸出しなのも気付いているようで、余計なことを話しかけてこない。今後もこのようなコミュ障が安心して通える店作りをお願いしたい。

東京で愛用していた個人経営のカフェが、私のコミュ障を無視してやってくれた、無理矢理コミュニケーション。そこのランチタイムは、ビュッフェ形式になっており、独自のルートで仕入れたであろう若々しく艶のある新鮮な野菜が、1000円足らずで食べ放題。しかも、ドリンク付きで、まるでスターバックスを個人店でさらにお洒落にしたような店内で、食後30分程度、くつろぎながらスマホで調べ物ができるという譲れない場所だった。しかし、案の定、スタッフが話しかけてきて、「いつもありがとうございます」というお決まりの台詞から始まり、「どこに住んでいるのか」「いつもスマホで何を調べているのか」など、私にとっては、警察の取り調べのような尋問が繰り返されるようになってきたのだ。私は、ただ黙って「ぼっち」を楽しみたいというのに、訳のわからないサービスをやめて欲しくて仕方なかった。意識すればするほど、ビュッフェのスープをこぼしたり、あるはずのない階段につまずいたり、テーブルに座るときに膝をどこかにぶつけたりしていた。「大丈夫ですか」的なことを言われるのかという恐怖心から、味がしない。また何やら話しかけられると、汗が噴き出て止まらなくなる。季節は、年の瀬を迎えようとしていたというのに、サウナ状態の私。しかも、最悪なことに、ご丁寧に気を利かせてくれて、エアコンをつけてくれたのだ!汗でびしょびしょのシャツが、どんどんアイスノンのような状態になって、震えが止まらない。しかし、こちらからエアコンを消してくれともいえず、新規に入ってきたカップルの客が「この店寒い」といって帰りかけそうになった。私は、そそくさと会計をして、二度といくまいと心に誓った。その誓いの日の数日前は、その店のスタッフが、なぜか私の家の場所を知っており、私がその付近でスケボーで滑走していたということまで知っていたのだ。完全に探偵、いや、ストーカーだってもう少し密かに備考すると思うが…。

そんなトラウマで、これからも話しかけてこないように祈りを込めて入店するしかないのだが、客たちのガヤガヤ話を聴くのは、結構面白い。私は、早い時間に行って、あまりオープンになっていない早割コースを注文していて、その存在を知らない客たちが、定価にサービンドリンクが付いた程度の「通常価格」でお得感を味わっているのを聴きながら楽しみつつ、早い時間だから、いやでも聞こえてくる無知な客たちの談笑内容を聴いてしまう。これが、よく聴いてみると、会話として全く成立していない。相手が目の前に居れば身振り手振りで何とか意思疎通はできるものの、仮に、このような「文章」で、相手に自分の思いを伝えられるかといえば、確実に答えは“NO”。「だからその…」「そうそうそれ…」「でもやっぱ…」。接続詞や、指示語が「念を押す擬態語」のような働きをしていて、自分の心情を明確に表現できていない。そして、その場の一場面だけで笑っている。仕事ができる人が口を揃えて言うことは、多くの飲み会が無駄であり、そんな時間と金は、投資と自己研鑽に回せと言う。たしかに、日本語にもなっていないような言葉のやりとりをして、2時間の食べ放題・飲み放題コース料理でガハハと大笑いしているより、独りで食べられる範囲の節度をもって栄養のあるものを食べ、しっかりとブログを書いている方が、私としてもいい投資になっていると確信する。

この世で最悪なのは、「いつもお待ちしています♡」という魔法のLINEやメール文字に釣られてしまったり、そんな文字が浮遊しているお店で、渋く呑むことだ。そこで酔いしれている自分の横顔を見ている素敵な女性の視ている場所は、どんなに言い訳しても「お財布」であり、さらに新しい場所を開拓する度に、1時間で3回くらい同じ自己紹介をするような愚行。明らかに、愚かだ。酔いしれて放出されるのは、財布の中のお札とコイン。お酒は、トイレでキレイに流される。それでもまた、自分の魅力を信じて「そこ」へ向かう。過去の自分も、言葉を正しく運用できていなかったようだな。さぁ、ブログを書こう。

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