思考力

overcome

甘えん坊のボンボンだった私は、好きなときに好きなだけ塾や予備校に通わせてもらった。高校受験は、5教科よりも3教科に絞った方が範囲が狭まるわけで、特に丸暗記が苦痛だったので、歴史の年表とか化学の元素記号などのズラッと並んだものを憶えるというのは関わりを持ちたくなかった。だから、私立の3教科の方が取り組みやすい。そのような考え方が多い私立組に自分もなり、「国数英」に絞って高校受験をパス。中学校の家庭訪問では、将来の夢を訊かれ「お金持ちになりたいので医者です」と答えた知能と理解力が欠如した中学生であった。そのことを反省し、大学受験後に当時の担任に手紙を書き、あの頃の恥さらしの言動を謝罪した。それがさらに「学級新聞」に掲載されるという、恥に上塗りをされてしまった。

そのようなトンチンカンな意識で選択した高校は、「普通科」ではなく「理数科」。ゴールデンウィーク前には、すでに退学の気持ちが湧き上がってきたのだが、せっかく入ったからという気持ちと、当時の「逃げるが勝ちの考え方は負け」という常識には勝てなかった。嫌悪していた学校で、容赦無く繰り広げられる高校の理科と数学の授業。どんどん解らなくなる。今でも有名な某個別指導の塾の小遣い稼ぎの大学生だって、難しすぎる問題に全く対処できておらず、私の学校の授業進度にも驚く。数学と理科が週に8時間ずつある。仮に好きだったとしても、吐き気がするようなカリキュラム。もちろん週休1日。火曜日は「8時間目」まであり、ますます登校するのが辛くなる。

こうなってくると、大学受験は、中学時代の財産だけで戦うこととなる英語と、日本人だから読めるはずだという短絡的思考で国語。そして社会と理科を捨てていたので、私立文系の受験科目は「英数国」の文転丸出しハイブリット三兄弟となって、高校受験と同じになる。中学生に毛が生えた程度の英語力で、主語が単数なのに“be動詞”の過去形が“were”になっていることが信じられず。数学は、毎週8時間フシギなお経を聞かされている状態だったので、今では「数II」と名称を変えたらしい「代数幾何・基礎解析」というプログラミングの日本語版のような四字熟語。さらに、いつの間にか始まっていた「微分積分」も、高校入試の「2次関数」で終わっているので、公式を応用できない。解説を読んでも、果たしてそれが日本語なのか不安になるありさま。国語に関しては、当時の学習指導要領で、理数科の古文漢文は免除だったと思うほど記憶にない。おじいさんの先生が、カルタのようなアイテムで助動詞の活用表を暗記させてあげようと意気込んでいたが、生徒の大半が夢の中だったのでゲームが成立していなかったことだけは記憶している。

 

結果、ことごとく志望校に落ち、おそらく数学の点数を英語と現代文でカバーして全体の合格点を埋め合わせて得た合格だった。とりあえず、今まで英語講師をしているので、前述の“be動詞”の謎が「仮定法」が原因だったことは判明している。とりあえず英語講師として人生の半分を過ごしてきた私の過去は、大学受験の時だけを切り取ってただけでも「ボロ負け」。そんな敗北人生を歩み続けた私が、最後の最後の授業にする「激励の言葉」を紹介しよう。まず第一声は、「負けよう!」から始まる。限りなく大きな声で満面の笑みで言う。もちろん生徒たちは、その後の展開を知らなければ「落ちろ!」と言われて締め括られるわけなので、この続きを固唾を飲んで聞き入る。

負けて負けて負ける。どんどん負ける人生。気持ちがいい。どんどん負けよう。負けるというのは、弱いことだという認識があると思うが、それは全くの誤解。負けるというのは、強いこと。だって、強い者に挑戦しているから負けるわけだ。だから、積極的に負ける人生というのは、なんとも素晴らしい生き方だ。"overcome"という単語の語源を考えてみる。"over"と"come"に分解して考察する。

まず“over”。この単語は、簡単なようでネイティブスピーカーであっても1つの意味に定義するのが難しいという「超多義語」なのだ。私は、子供の頃、シューテイングゲームと言うとカッコいいが、インベーダーゲームなどで、「ゲームオーバー」という表示が出ると、まだやり足りない!と心の中で叫んでいたし、実際に声を上げたこともある。この時の“over”は、「終わる」という意味。別に「ゲームやり過ぎ」という意味ではない。"over"のコアを一語で言うと、「対象を覆い隠すようにして上」だ。例えば、“cover”という単語は、“co“「完全に」”over”「覆い隠す」だから【カバー】なのだ。車を覆い隠す為にかけるイメージが浮かべばそれでいい。もちろん、そのコアのイメージを軸に、ある物事を完全にやり尽くして上にあると考えれば、ゲームオーバーが、ゲームし過ぎではなく、ゲームをやり尽くして「終わり」ということに繋げられるはず。

では、“come”を考える。日本の有名バンド『ドリカム』の正式名称は『Dreams come true』。これを勘違いしている人が多く、その多くの人は「夢が現実に向かって来る」と思い込んでいるが、“come true”2語ワンセットで「実現する」という意味。では、それで暗記すればいいかというとそうでは無い。“come”のコアは、「対象が近づいて来る」である。そして(第二文型動詞として)左と右がイコールの場合、「〜になる」という意味になり、この「〜」の部分は、プラスイメージになる表現が来なくる。まさに、夢が真実とプラスイメージでイコールになるわけだ。さすが日本の代表バンド。素晴らしいネーミングに脱帽。

これで、“overcome”を考えれば理解しやすい。「対象を覆い隠して上にしてプラスにする」。上記単語同士を繋げただけ。これで、意味が「〜を克服する」という意味になることが理解できよう。「〜」の部分には、困難や障壁などが来る。もちろん病気などの目に視えない対象も含む。だから、積極的に「負ける」ことが大切なのだ。たとえどんなに苦しかろうと、その対象を覆い隠し、それを乗り越えてプラスの状態にする。これが真の克服だ。英語の語源と日本語の意味をリンクさせると、言語同士が深い意味合いを抽出して、言葉そのものの重みや奥深さを感じられる。自分より強い者に挑み、負ける。そこで、絶対に負けてはいけないのは、他ならぬ自分だと知る。そこで大きくもなれる。

人間が人生で最も輝く時というのは、成功の中で光るのではなく、這いつくばって立ち上がれなくなって、地面に溶けてしまうような状態から再度奮起する時だ。弱い者に勝ち続けようとしたところで、そんなものはイジメ程度にしかならず、最後は向かい合う自分すら滲んでしまって、何も感じなくなる。そんな人生はつまらない。

いい加減な理由で、高校に入学し、いい加減な大学受験勉強しかしなかったような私が、人生の半分以上を、「先生」と呼ばれる立場で生きた。そんな自分が、受験を間近にした最後の授業で力説する「負けよう!」という言葉を胸に試験会場へ向かう教え子の背中に、心からの合格の祈りを込めている。

 

-思考力