思考力

無に埋もれない

 

受験に合格するための「塾」という存在意義は、やはり決められた期間内に偏差値を上げ、試験時間内に問題を解く能力を養うことである。これを求めて、生徒たちは入塾してくるのであり、いくら有難い人生論を聞いたところで、肝心の成績が上がらなければ、すぐさまクレームが入る。多くの人にとって、やりたくもない試験勉強するという行為は、強い苦痛を伴う。本番までの期限は、確実に容赦無く近づき、その当日に集まってくる受験生に勝る得点を獲らなければならない責任を背負う。強制的に物事をする処理することは、心理的に非常に強いストレスがかかり、その程度が強ければ、肉体的にも負荷がかかり、様々な病気の症状を出してしまう者も出る。

では、試験というのは、人々を苦しめるために行われるのだろうか。そもそも、試験をして合否を判定する目的は、試験をパスした後にやってくる諸問題に対して、正しく対応できるかどうかを測っているわけで、わざわざ試験後に立ち直れなくなるようなトラウマを与えるためにあるのではない。仮に、どんな人でも入学できる学校があったとしたら、そこで学習するペースが乱れたり、レベルの高さに対応できずに脱落する者が出たり、脱落する者のレベルに合わせていれば、上級者の士気は下がってしまったりする。基準を作り、その基準をクリアできた者たちが集まる場で、大きな成果を出すことができるのであり、その基準をクリアするために努力する過程の中で、レベルの高い者と一緒に課題を完遂できるだけの力を養うことができる。

資格試験であっても同様で、仮に何の知識も経験もない者が、車の運転したら、大きなアクシデントが起こる。そのような危機を避けるために試験を通過するための努力は、不可欠なのだ。また、試験までの時間的制限がなく、自分のレベルが上がったら、いつでも受けられるテストがあったとしたら、大抵の人たちは努力をしなくなる。限られた期間の中で努力するからこそ、パフォーマンスが上がるのであり、時間的制限がないというのは、ある意味で、それそのものがストレスとなる。人間の集中力は、期限が近づいてくると高まってくる事は多くの人が経験しているはず。その典型的な例は「夏休みの宿題」だ。40日間の猶予が与えられていても、日々のルーティンとして課題をやり抜く事は難しいもので、夏休み明けを間近にしたときに、やる気を奮い立たせることとなる。ただ、これで良い結果が残せたりすることもあるので、やはり、期限を設けるというのは、とても大切なことだ。

 

人間は、負荷がかかる事柄を避け、現状を安定させるために新しいことに挑戦することを億劫に思う。これは、脳の仕組み上、いた仕方ないことだという研究結果が出ている。上記で述べたように、あまりにも負荷が強すぎると、肉体的にも疾患を併発することだってあるので、精神的なバランスをとる事は、とても大切なことだ。でも、人生の節目節目では、必ず面倒くさいことをやらなければ進んでいかない時期もあり、その事実を素直に受け入れて目標を達成したほうが成果が出る。その一時的な困難を避けていれば、自分の人間としてのレベルを上げることはできないのだ。

 

仮に、何も障壁がない環境を求めて「無の環境」に辿り着いたとしよう。このような状態を果たして楽しめるだろうか。今度は逆に、人間というのは欲張りなもので、自分への「刺激」を求めるようになる。でも、面倒くさいことを逃避し続けていた者が、改めて奮起したところで、なかなか重い腰が上がらなくなる。結局のところ、再度、面倒なことから逃げる。最終的に、そのような人は、逃げることすら面倒なことになってしまうのではと心配になる。まぁ、余計なお世話は控えよう。

目標を達成した時の快感。困難であればあるほど、その達成感は大きい。キッカケは何でもいいし、初動が遅かったからと言って、進歩を妨げられる必要もなく、決められた期限までに、しっかりと自分がゴールをクリアできればいい。その繰り返しで、人生は豊かになり、その刺激を追い求められるようになれば、一種の「快感」を追い求めるポジティブな人生を歩むことだってできる。

塾や予備校の講師として、多くの受験生を指導してきた。最初は、強制的に受験の門戸を叩いて入ってきたとしても、私の授業を受け、やがて自分の目標が人生の糧となることを実感し、自ら進んで勉強に取り組むようになる人との出会い。やがて、共に学習の道を進んで行けることに、大きなやりがいを感じる。試験日までに必要なことは、実は、わかりやすい授業だけではなく、授業中に話をした生き方の話であったり、人間として避けられない苦しみを克服するときに教えられた人生の教訓であることが多い。

 

世間では、塾や予備校というのは、受験のノウハウだけを教える場所だという認識が強いのかもしれないが、教える者と教わる者が一体となって、ゴールを目指す出会いの場だと私は認識している。どんな人間であったとしても、感情の起伏はある。そこで正しく自分の心から湧き上がる気持ちが何なのかを考えられるようにする。受験というのは、単調な作業を繰り返す辛いものだと思われている。しかし、目標を達成する中で、人生を好転させる出会いや、正しく考える力を判断できる貴重なチャンスだとも思う。少なくとも、私が出会い、指導していく中で成長した学生が多くいることが、何よりもそれを物語っている。

 

 

 

 

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