思考力

無意識の中で迷走する

この年齢になり、本格的に就職活動をしているのだが、AIでお勧めされる職業は、とてもとても「創造的」とは言えない職業ばかり。もちろん、労働の対価として、給料が発生するわけだから、どんな職業であれ、それが合法的な範囲なのであれば、社会の役に立っていることは間違いない。ただ、私は、あくまでも、どんな人がやっても同じ結果が出るような単調な作業ではなく、自分だからこそ出来上がるオリジナリティーあふれる仕事がしたいと思っているだけだ。

とはいえ、ずいぶんと労働していない日々が続き、どんどんと履歴書の空白期間が伸びていけば、やはり企業側としては、私のような中年を採用しなくなってしまう。やはり、ここに来て、ナマポとニートに加え、田舎生活のデメリットのトリプルパンチを喰らえば、なかなかテンカウントの間に立つことはできない。しかも、立ち上がったとしても、消費者金融の取り立てがラッシュをかけてくるのだから、起き上がる気力すら出てこないというのが現実である。

もちろん、私は私の意思があり、それが社会の歯車にうまく乗っていないだけであり、一時的な困難な状況になっているのであるが、変な宗教にのめり込んでいくような洗脳を受けているわけではない。誰にも迷惑をかけていないので、そこら辺は、問題ないと言えよう。ただ、洗脳されて、家族にも社会にも問題を引き起こしている厄介な宗教もある。信者は、ある一つの何か特別な存在に全身全霊を注いでいるわけだから、ここで何らかの助言をしたところで、焼け石に水と言えよう。

仏教でもキリスト教でも、何かを崇拝して、自分の心が清められたり、心が癒されたりするのであれば、それは素晴らしいことである。その反面、何かを巻き込んだり、一部の人のチカラで、何かを搾取しようというのは、大きな間違いである。私は、塾業界に身を置いて、20年以上のキャリアを持った。それは、私が2年間の浪人生活で得られた経験から生じた意思によるものである。こう考えれば、自分の選んだ選択肢が、もはや予備校という一種の宗教に洗脳され続け、今、新しい職業へと立ち上がろうとしても、シフトをチェンジできないという状態から考えても、一種の「洗脳」を受けていたのだろう。

自分は、無意識のうちに、何かに囚われていないだろうか。それは、時間が経過してからでは遅すぎる。やはり、自分の意思が、シッカリと根底にある状態で、自分の人生を開拓していかなければならない。やはり、無意識の中の行動というのは、知らぬ間に、自分の意図していない方向へと進んでいくこともあるということだ。

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