思考力

左手を使うと煙がたつ

暇だから悩む。確かに、どんな人間でも、そんなものなのかもしれない。塾講師としてのプライドを最低限にまで落とし、できるだけ少ない労力で仕事をする。昨日のブログを読んでいただければわかるが、現在、勤め始めた塾は、いかにして自分の持ち味を殺せるかということにも関わる職場だ。昨日も、授業が終わったら、5分で退社するような学生講師がいたほど。授業報告書をマッハのスピードで書き上げ、帰り支度まで併行して行えるという人は、バイトを変えて、何か回転寿司屋のような容量の良いバイトでもしたほうがいいとも思ってしまう。

ただ、そんな働き方を、もっと早く身につけておけばよかったのかもしれない。身体が悲鳴を上げて、身体からの声がかすれるくらい教育に自分の魂を渡したような状態になった自分。精神がズタボロになって、心の体温が高熱になりすぎて指先一つ動かせなくなった状態になった自分。そんな自分の過去の人生を振り返ると、いかに手返しよく自分の人生のフリータイムを設け、いかに仕事の手を抜けるかが大事だったのだろうと思ってしまう。特に、景気がどんどん下がっていく日本の中で、このような考え方は、とても重要になってくる。もう、私には後戻りできるほどの年齢的な余裕もない。

言葉が変われば、生きていく習慣も変わってくる。自分を常にポジティブな状態に持っていくためには、自分以外の何かに対して、常に心をオープンにしておかなければならない。逆に、そのような心持ちでいれば、必ず自分の生き方が上向くのだ。これは、千葉に移住して、もうすぐ4年の月日が過ぎ去ろうとしている自分が、その生活の中で得た教訓でもある。内なる平和の音を心の中で共鳴させるためには、やはり他者に対して、また環境に対して自ら積極的に関わっていく必要があるのだ。

それは、私にとって、左手で箸を持って焼肉を食べるようなもの。上手く焼けなければ、時間経過と共に食べたいものがまる焦げになってしまう。だから、仕事に対しての価値観も変化させていかなければならない。当たり障りなく淡々と目の前にいる生徒のペン先を見ながら丸付けをするだけ。そうやって、自分の中の職人魂を静かに鎮めておくだけ。ただ、完全に過去の情熱を封じるのではなく、こうやって日々のブログを書くことで、内なる精神の力は、高い状態でキープしていこうと思う。そうでなければ、過去の自分が可哀想だ。切り離したい過去を持つ自分でありながら、切り離せば、機械のように冷たいロボットになってしまう恐怖をもつ自分。まさに、両極に揺れる自分の見極めが大切になった局面を迎えている。

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