思考力

ドラマの主題歌が終わる頃

昨日は、カラオケへ。一人カラオケというのは、周りに人がいない分、非常にマニアックな歌を気兼ねなく歌えるばかりではなく、帰りたくなったら、とっとと帰れる手軽さも良い。特に、会社員という身分から離れ、生活に融通が効くとうになった今、一人レジャーの大切なイベントの一つでもあることに変わりはない。ただ、カラオケにしろ釣りにしろ、やはり気の利いた仲間とのレジャーの過ごし方というのは、これまた楽しいものがあり、一人でいることへの一抹の「悲しさ」のようなものが出てきてしまうのも確かなことでもある。

ここで、自分がいかにして意思を強く持てるかも試される。空腹の状態で、目の前に脂質と糖質まみれのピザが目の前にある状態とでも言えようか、仲間を求めてしまう「弱さ」である。これは、とても深刻な依存症と同じで、一度でも友人とつるんで余暇を過ごすのならば、そこから先は苦しい依存の始まりだ。だから、ただただ振り回されるばかりの刹那的な時間しかシェアできない人たちとの時間を求めるだけなのであれば、一人でいる方がよっぽど良い。

結局のところ、人間というのは本来、集団で狩りをしていた訳だから、何かしらのコミュニティーに属さなければ不安を感じるもの。ただ、現代のテクノロジーさえあれば、そんな必要もなくなってくる。一人で生きることが生きやすいと感じているのであれば、孤独や不安を恐れずに、どんどん自分の世界を構築していった方がいい。それが、他人を傷つけたり、自分を追い込んでしまうようなことがなければの話である。そうすれば、従来の考え方が、実は逆に動いうていることに気づけたり、周囲の流れの中に、もっと効率的に動ける方法がないかと考えるきっかけとなりうるはずだ。

人は、一人では生きていけない。ただ、人の心の中には、絶対に他人に侵略されたくはないゾーンがあることも事実。そのを両者を大切に見極めることで、自分本来に必要なバランス感覚や視点の移動ができるに違いないと思っている今日この頃。典型的な負けパターンは、やはり孤独を恐れすぎて、無思考の状態で周囲に溶け込もうとすることだ。集団というのは、トレンディードラマのように、いつか最終回が来る。その時に独り立ちできるだけの気持ちと意思がなければ、その先の人生は、薄っぺらいものになってしまうはずである。

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