思考力

裸眼のサポーター

 

薬が強すぎるのだろうか。今、夢の中から出てきて、夜もあけていない午前4時。起床時間は置いておいて、眠りに就いたのは8時間ほど前なので、一般の人とは、睡眠時間は変わらない。ただ、昨日は長く昼寝をしたので、眠気は訪れないと考えていた。しかしながら、自分の中に溜まっている疲れというか、過剰な神経の張りのようなものが、私の睡眠の長さによく現れている。知らぬ間に、私の心が、心の幸せの範疇を守ろうとしているのかも知れない。だったら、その幸せな心の領域を侵そうとしている原因は、一体何なのだろうか。それが分かれば、今度は自分の幸せが何なのかが理解できるのかも知れない。

このような曖昧な自分の幸せの定義を哲学的な角度から考えてみると、何やら不抽象的で掴み所のない何かを書き記そうとしているようで、終わりなく悩み続けてしまいそうだ。私には、文豪のような深い苦しみを、文字や絵画などで表現できるほどの能力は持ち合わせてはいないので、あまり形のないものの描写は避けたいと思う。ただ、一つだけ言えることといえば、人間と他の生物と決定的に異なるのは、人間だけが人生に対する生きる意味について考え続けているということだ。時間に限りがあると認識しているのは、言葉を持った人間だけの大きな特徴と言えるであろう。

では、人間だけが持つ価値観である「お金」に対する物の見方であるが、これを考えるときには「色眼鏡」をかけて考えなければならない。楽して稼げるモノではないが、地道に働いて節約していけば、確実に増えるのがお金であり、それを求めるがあまり、ギャンブルにのめり込んで散財してしまうのもお金の特徴だ。良くも悪くも人間のモチベーションに大きな影響を与えているのは確かなモノである。そして、人間がどのように生きていけば良いかを考える時に、生々しい話になってしまうが、このお金というモノを基準に考えている場合がほとんどなのである。

一時の幸せを得るためにお金を払ってペットを「買い」つつも、それを「飼い」ならせないという理由で、捨てられてしまう動物の行き着く先を考えると、いかに人間のエゴが表へ出てきてしまうかということが分かる。お金を使っていることをいいことに、悪質クレーマーになる人もいる。人間の無慈悲さや、エゴが大きく露呈されてしまうのが、やはりお金に起因していることがよく分かる事例でもある。ビジネスマナーを学んだ社会人が、このような悪質な行為をしているのだから、これはもう学んだ内容を活かしきれていないとしか言いようがない。

お金お金とは言いつつも、配偶者に先立たれた高齢者が、まるで抜け殻のようになってしまったら、お金の価値というのは、ほとんど消え去っていったのと同じにはなるのかも知れない。今までの失われた思い出を取り返すことは、いくらお金を払ったところで不可能なのだから。人生でダメな生き方というのが、お金に対して考えずに「理想論」だけで考えてしまうこと。それと同じくらいダメな生き方というのは、お金に対して過剰な「固執」をしてしまうこと。どのような場面においても、やはりバランスを取らなければ、人生はダークモードに突入してしまう。

拙い文章なのかも知れないが、こうやって起床後に必ず書いているブログが、私の心の価値観がグラグラと揺らいでしまわないようにサポートしてくれている。だから、自分の考えを柔軟かつ確固たるものとして心の支えになっているのだと信じている。

-思考力