思考力

見えない星に願いを

 

今日、明日だったか。綺麗な流れ星が夜空に見えるという素敵な日になるみたいだ。私も、そんな流れ星を見ながら願いをかけ、素敵な思い出を抱きながら夢見て眠りたいものだ。しかしながら、見るだけだというのに、冬の海へ突っ込んでいくサーファーであるにもかかわらず、寒くて外へ出る気にはなれなかった。今の私なら、感受性のかけらもないので、どんなに感動的な本や映画を観ても、「ふーん」で終わってしまうのかもしれない。人間のみが考える権利が与えられている「死」という概念でさえ、知ったこっちゃないと言いながら無関心でいそうである。

人間、暇だから悩むという側面を持ち合わせているようで、時間にゆとりがあって、集中して何かに没頭できている時には、シンプルな状態からゼロからであっても、悠然と立ち上がることができる。そう考えると、毎日更新しているモーニングメソッドとなっている、このブログの継続もやはり、人生がうまくいっている人がしっかりとやっている「忍耐の伴わない継続」なのかもしれない。ここまで習慣になると、朝の儀式として、まずMacのキーボードを弾きやすいような机のスペース作りから入れるのである。

もはや、こちらも日々の習慣となったテレビで連日のように放送を繰り返している新型コロナウィルスの感染者数ではあるが、もはや日本では発表するまでもないような低い数字で維持されている。これならば、わざわざ報道することもない。感染者数ゼロになるまで、この数字を計測している人たちは、有給休暇をとって休息してもいい。もはや、数字がいつといつを比較して安全なのか不安定なのか危険なのかの基準が曖昧なのだから、国民を惑わすような言動をマスコミ側は口を紡いでもらいたいものだ。

休暇を取るというのは、一見すると怠慢しているようだが、実は非常に大切なことであり、どう考えても進化した連絡ツールがあれば、電話やファックスや紙の書類などで行っていた業務の時間を簡素化できるわけだから、労働時間は減るのは当然なのだ。やっとゆとりが持てると思いきや、頼んでもいないワンコそばを、知らぬ間に知らないおばちゃんに入れられるのと同じくらい不快な状況となる。こうなれば、ストレスレベルは一気に上がりつつ、ブラック企業に勤めているのならば、文句を言う相手すら誰にするか迷うところでもある。

そんな時に、触らぬ何とかに祟りなしということで、責任を「自分」に向けた時点で、絶対にやってはいけない自己否定というループから抜け出せなくなってしまう。日本のカチコチに凝り固まった仕組みを改革するための具体的な動きを、もはやその分野に強い影響力を持っている人たちが立ち上がって行うべきである。偉そうなことを言っている私だが、寒くて立ち上がれない状態で、残念ながら流れ星を見ることすらできなさそうではある。

-思考力