思考力

貸し切り無料列車

 

1日に入れる予定は、1つだけという「なんちゃってFIRE生活」を送っている。先日、一度だけ、手帳に記入した仕事の時間帯のメモ書きが間違っていて、大きなトラブルとなってしまいつつも、それ以外は順調にこなしている。それはそうだ。1日に「ひとつ」しか予定がないのであれば、それを終わらせれば、あとは完全に私の空白の時間であり、誰の指図を受ける必要もない。このブログ作成を差っ引けば、「一日一善」のような感覚で、広い心持ちで、ひとつのイベントに専念することができる。

今日明日明後日と、予定が全くないので、久しぶりに波乗りにでも行こうとしたのだが、結局、1日に「ひとつ」でもイベントがあると、心持ちは緊張しているのと変わらないようで、ひとつどころか何も予定が入っていない今日のような日は、何やらサーフィンに行く気持ちよりも、昼寝をしたい気持ちの方が高まっていった。昨日の台風の中のビッグウェーブで行われた、サーフィンオリンピックの翌日の余波の中で、もはや炭水化物吸引機状態の私の垂れ下がったお腹でボードの上に腹這いになるには、無理がありすぎるので、そのまま昼の眠りについた。

男子も女子も「横ノリ系」の競技で、見事にメダルを獲得したことで、サーフィンやスケボーを楽しむ人たちも増えてくるのだろう。ただ、ストレス解消のための「水遊び」のような気持ちでサーフィンをすれば、大きな事故につながる。とはいえ、昨日のサーフィンの決勝のヒートの波は凄かった。台風がオリンピック目掛けて意図的に飛んでくるような、前代未聞のコースで、千葉のオリンピック会場のビーチである「釣りヶ崎海岸」へ、舐めるように通過し、決勝で戦った選手のボードが、開始10秒で折れるというアクシデント。これを観て、サーフィンの恐ろしさを感じる人もいれば、やはりサーフィンへの憧れが強くなり、自分の将来の夢として、巨大な波の力では、簡単に折れるかもしれない板を抱えて海へ行く人も増えていくのだろう。

そのような意味で、サーフィンが、オリンピック競技として正式に加わった年が、我が国で行われた”TOKYO2020”であったことは、とても誇るべきところだが、やはり、台風の到来を心待ちにするのは、サーファーという人種以外はいないはず。今日は、そんなビッグウェーブをもたらせた台風が、宮城県に初上陸するという、黒歴史がシッカリと刻まれてしまった。東北では、暴風と土砂災害が危険視されている。感動とは裏腹にもたらされる犠牲。そんな中で、感動とは程遠い、「コロナ問題」。オリンピックでメダル獲得のニュースの裏では、オリンピックでコロナが流行したという批判の声が溢れていることも事実でありながら、その声に対応すべく開かれた関係閣僚会議は、思いっきり「密」の状態で行われている。「オンラインでやらないのか」という批判は、私の皮肉にしか捉えられないのだろうか。

医療現場が逼迫していて、不要な外出自粛を促される。この映像が、一年前のものだとしても気付かないような進展のない映像が流れている。危機感を示しているという発言が続いていることにすら、もはや危機感を感じられない。埼京線という便利な路線ができて、若かりし当時の私は喜んでいたが、このご時世、埼京線は、快適に通勤客を移動させるのではなく、単に、池袋を境とし、東京から埼玉へと「コロナ菌」を運ぶ列車となってしまっただけのようだ。埼玉県の新規感染者数が、2日連続で最多更新しているのだから。昨年の大ヒットアニメの映画も「無限列車」だった気がするが、まさに私を運ぶ電車と化してしまったかのようである。

もちろん、毎度のことではあるが、何を基準としたデータなのかが不明瞭なデータに信憑性はない。「PCR検査」を受けるということは、鼻から管を突っ込んで陽性か否かが分かるだけであって、治るわけではない。そして、そのような正確な検査を、毎日行うには、時間的にはラグも出るわけで、正確なデータとは程遠い。さらに、新たな変異株がカラダに取り込まれようものなら、またもや鼻に管を突っ込まれ、ドキドキの通知結果がセンターから通達される。そういえば、一年半前に鼻から管を入れて通知結果を待っていた私のドキドキ感と、ブラック企業と手を切れて、自由な時間を満喫している今のドキドキ感は、正反対のベクトルにある。

友達がいない私にとって、釣りやサーフィンというのは、とても自分と相性の良い趣味である。さらに、カラオケであっても同様で、ひとりで行けば、その場にいる誰も知らないような曲だって、遠慮することなく歌っていられる。別に、RADWIMPSの最新曲をマスターしていなくても、上司に合わせて中森明菜の盲点の曲を突かなくても良い。すべては、自分の意思で決められる。こんな自由な日々を送れているのだから、不謹慎ながら、私にとっての「コロナ」は、「追い風」に他ならなかったのだ。

また、オンラインで仕事をするメリットは、とにかく多い。特に、上司がいるような現場で、何やら無言のプレッシャーを感じながら、無駄な緊張をしなくて済むし、面倒な決断を迫られたとしても、メールやチャットであれば、ゆっくりとスケジュール調整ができる。礼儀作法と調和をもたらす日本人の型を周到するのであれば、その場の空気と自分の身を危険に晒してでも、全体のために動かなければならない。でも、物理的に離れているのであれば、不意打ちの仕事の依頼がくることはまず無い。こんなにも素晴らしい労働環境で生活できるのは、なんと素晴らしいことなのだろうか。

無駄な争い。愚鈍な相手を、正面から向打って、論破しなければならないようなシチュエーションが多かった。しかも、そんな愚かな人の一言一言を気に病んでいた。今は、付かず離れずの関係で、向こうが一気に距離を縮めてこようものなら、オンラインツールの「退出」のボタンをクリックして、ブロックでもしておけば、その関係は終了。次の良好な人間関係を探していけば良い。本来、人間というのは、このようなカジュアルな付き合いでこそ真価を発揮できる生き物なのかもしれない。少なくとも、オンライン上であれば、どこかの国からバラまかれた「菌」に感染することもない。今の時代、私にとって、これ以上恵まれた時代もないようだ。

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