思考力

個々でアップデート

 

「情報断食」をしている優秀なビジネスパーソンたち。自分にとって、本当に必要なニュースなどは、週一回程度の確認で十分であり、本当に必要ならば、どこかから勝手に入ってくるという考え方。素晴らしい。ただ、私は、情報発信をしている端くれであるがゆえ、毎日のトップニュースには、とりあえず目を通さなければならないと思っている。さもなくば、私のプライベートの「雑記ブログ」という、読者の皆様には全く利益をもたらさない「時間搾取」の駄文を作成してしまうことになる。

先ほど目を通したトップニュースでは、コロナの情報は1つだけ。もはや、「石川県」「30代以下」「47人」「2021/07/23」などの、具体的数値やデータで、目新しいタイトルにしなければ、コロナニュース関連での視聴回数を稼げなくなってしまったようだ。結局、視聴者を飽きさせては、メディアの仕事は成立しない。他のニュースでは、双子のパンダがスクスク成長していたり、都議選期間中に無免許運転を起こしたオバチャンが「雲隠れ」していたり、台風が宮古島を覆い隠すような角度で進路を進め、家屋倒壊の恐れが出てしまうような猛烈な風が発生するという予報が発表されていた。

『7つの習慣』の表で分割された「必要かつ急を要する行動」を促す情報は、上記の中では「台風情報」だけであり、パンダもオバチャンも、知らなくていい情報である。かわいいパンダだという表面的なコメントもあれば、どっかの国がどっかの国から獲ってきたのを、日本に高額でレンタルしているだけだと憤怒している人もいた。このように、国際政治的な側面で怒る人もいる。雲隠れするオバチャンは、かくれんぼしている間にも、年収2000万ほどの給料が入ってくる訳だから、「逃げも隠れもする」以外ない。「お金ファースト」という新政党でも作ってみれば、国民の怒りが「笑い」に変わるかもしれない。辞職勧告が決議されたところで、熱りが冷めたら、どこかからゴキブリのように這い出てくる。

さて、今日の時事ネタの皮肉の部分も書き終えたし、このブログはフライングブログ。だから、明日はどこに行こうかと思っていたら、新居に設置するドラム式洗濯機の計測と、夏期講習から担当するオンラインの生徒の初授業が入っていた。1日に、2つも予定が入っているとは、最近の私にとっては、非常に多忙なことである。会社員のときと同じサイズのコンパクトな手帳には、悠々とした余白があり、今では、それを持ち歩かず、見返すこともなくなりつつある。今日も、一人カラオケをしていたときに、何かの用事があることを思い出し、オンライン面接があることを思い出した。すぐに帰宅して、面接と模擬授業の用意をしたが、肝腎要である、その会社のホームページをチェックしていなかったという始末。失礼極まりない。申し訳なかった。

終身雇用が、ほとんど崩壊している現代日本。今や、「ジョブ型雇用」なんてワードも聞き慣れつつあり、自分の専門分野に特化した仕事のみにコミットするという働き方に移行してきた。私にとっては、まさに夢にまで見ていた労働環境だ。今まで、どこの会社であっても、非正規雇用の人間が、「英語以外の指導はしません」と言うと、その時点で毛嫌いされた。それでもって、ただただ飛ばされるだけならまだしも、今まで積み上げてきたプライドをズッタズタにするような「捨て台詞」を吐かれ、深いトラウマを抱えたままの異動となる。今思い返しても、その校舎の前に座り込み、そこの校長がが出てきたら、そのまま連行し…。そんなことを、昨晩「も」考え、ますます不眠が悪化してしまった。

考えることを止めてリラックスするためには、日々のスケジュールそのものにゆとりがなければ不可能。ドタバタしているスケジュールで、やっととれた休日には、体力回復のための「寝溜め」でもしようものなら、無症状のまま精神が蝕まれていき、症状が出た頃には、心身がブッ壊れている。今や、忍耐や我慢を強いるような会社からは、とっとと離れることが大事。もちろん、いきなり辞めれば収入がなくなるのだから、自分に一番向いている仕事を考えながら、今の仕事を手抜きしてやれば良い。「会社都合」で辞められるのであれば、失業手当をもらって、ゆっくり自分の特技を再考できる時間を作ることができる。愛着を持てないような会社や仕事の断捨離ができずに、自分の運気がアップすることはないし、逆に考えれば、大きく気持ちに区切りをつけ、変化することを受け容れられれば、大きく現状を変えることだってできる。

就職氷河期に大学生だった私。しかも、当時は、底無しの鬱状態で、指先を動かすことさえ辛かった。コレは、大袈裟ではない。その後、訪れる「躁」の大きな前兆だったのだと、今考えると理解できる。飛び抜けた「躁状態」。あのブッ飛んだ状況も、地獄の苦しみだった。コレは、その最中には認知できていない、ブッ飛んだ「後」に気づく後悔ばかり。後悔以外に残ったものは何もなく、お金も、信用も、社会的地位も、全て失ってしまった。思い出すだけで、再度はまり込んだら抜け出す自信がない「鬱」。今度、元気になったら、寛解なのか「躁」なのか分からない不安。この狭間での生活は、非常に骨が折れる。

現代のように、断捨離をしなければホンモノを見分けることが難しくなる程の情報過多の時代には、自分で自分の生き方を定めることができ、型にハマった「正解」というものが存在しない。自分が邪魔なのか、不要なのか、今いる場所が息苦しいのであれば、「生き苦しい」ことを認めて、自分の環境を整えることができるのだ。学習塾の形態も、一気に変化した。私が会社員として勤務していた二年前の夏期講習直前に、こんなにもオンライン教育が発達するなど想像できなかった。コロナの「コ」の字が出始めて、やっと動き出した教育後進国NIPPONの変化。そもそも、1回目の緊急事態宣言で、パソコンとタブレットが行き渡らないで、ひたすら「不公平だ」なんて揉めていたけど、遅れていることを知っていながら、重い腰を上げていなかった文科省の動きが遅すぎたのだ。

スマホが出てきたときに、あんなオモチャが流行るわけはないと思い込み、ガラケーの開発に勤しんでいたNIPPON。今や、世界中に普及しているスマホ開発に、乗り遅れているのは明らか。そもそも、ペリーさんが、新しい技術を持ち込もうとしたときに、大砲をブッ放すようなNIPPON。知らぬが仏では済まされない。知っておかなければ、損をするばかり。もう、NIPPONが、「安い国」としてしか見られていないのだから、せめて個人が安く見られないように、自分を常にアップデートしていけるかどうかが、今後の自分の人生の明暗を分けるはずだ。

もう、何冊目になったのか忘れた「手書きの下書きノート」も、今日、新しいノートになった。このまま、ずっと自分の考え方と、現代社会の動きに目を向けていけば、何か大きなことを成し遂げられそうな期待が湧いてくる。とても楽しみだ。

 

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