思考力

糸を太くしない

中二日空けて、朝からブログを書いている。もちろん、連続更新が途絶えたわけではなく、しっかりと夜にブログを書いて、連続更新に歯止めがかからぬよう、前の晩に予めブログを書いて「保険」をかけて寝ていた。昨日は、その保険が効いて何とかブログ毎日更新を継続できた。最近の強いサーフィン依存。昨日は、腕が回らなくなるほど疲れて海から上がり、車に乗るやいなや強烈な眠気と空腹感に襲われた。ラーメンとチャーシューご飯を食べなければ、家に着いて、目違いなく瞬時に「ガス欠」で倒れていたはず。「家系ラーメン」で豚骨醤油ラーメンとチャーシューご飯のドカ食い。破れかぶれで、大量のドーパミンを分泌させるが如く、さらなるトドメのコンビニスナックをレジに持って行き、さらにチョコ1袋、クッキー1箱を平らげて、夢の中へ入っていった。

目が覚めると、朝7時前。深く眠った証拠として、リビングにピーナッツのカケラひとつ落ちていない。寝落ちしてそのままコアラマットレスに沈み込み、コアラのお腹の上で眠っていたようだ。私の中では「残眠感」と読んでいる、MacBookが変換もできない漢字3文字を引きずるような眠気もなく、スッキリしている。すでにゴミ捨ても終わって、淹れたてコーヒーに手書きの原稿を書き上げて、一番集中力が上がっているドーパミン垂れ流し状態。ラーメンドカ食いの「ソレ」よりも、よっぽど健康に良い。

昨日は、カーラジオで「皆既月食」という言葉が耳に入ってきた。このようなイベントには、まるっきり無関心なのだが、Yahooのトピックスでも、かなり注目されていたようで、少しだけなら「月の顔」を観たいという気持ちにもなっていた。ただ、サンセットまでヘトヘトになったサーフィンの後、わざわざ夜の駐車場でシートを倒して観察しようという気にはなれなかった。そんなことよりも、次の日にスケボーをする女性との約束を切り裂いた「降水確率」の方が心配。そして、こうやってブログを書いている時に、もはやBGMが不要なほど自然な教科書通りの「雨の音」が耳に入ってきている。MacBookから流す人工的な朝のボサノヴァの曲も、山の皮のほとりの小鳥の声も、シトシトと降り注ぐ本物の雨音には敵わない。今日のスケボー は、言うまでもなく中止となってしまった。

関西3府県に、緊急事態宣言の延長要請が出ている。ソレとは完全に矛盾しているとしか考えられない“IOC”のオリンピック強制開催の姿勢。このような政府とオリンピック協議会の「茶番劇」で、国民は「またか」と呆れ返り、在宅勤務をしながら、会社員としての今後の不安を抱き抱える気持ちを「副業収入」で賄おうと必死。ただ、副業のような「稼ぐ力」を鍛えるためには、本業と同じか、それ以上のストレスを抱えることになり、多くの会社員が長続きしない。これは、その会社員の根性がないわけではなく、いつの間にやら固定されていた日本の8時間労働という暗黙の決まりが強すぎるから生じることが原因。政府が、コロナとオリンピックに対して、自己矛盾を繰り返し、トンチンカンな動きをしているというのに、真面目一辺倒に8時間フルに稼働しなければならない会社、文句ひとつ言わずに、キチンと労働する忍耐を継続する会社員の姿勢には、同情のあまり「涙雨シトシト」という気持ちだ。

昨日は平日。波もそれほど良いわけでもなかったが、ライダー級の上級者やプロと言っても過言ではないサーファーが多かった。そのような人たちは、私が波を一本とるうちに、5本6本とスイスイ波に乗っていく。ここまでの本数を乗りこなせれば、大会などで十分に戦える。そんなサーファーがなぜか一宮海岸に多く、元々の高いスキルを持ったサーファーが多い一宮海岸のサーファーのレベルの底が、どんどん上がっている。その原因は、やはりオリンピック会場が一宮だからだと思われる。ここで練習することが、メダルへの最短距離になることは想像にたやすい。

コンペタイプのサーファーは、ゴリゴリのマッチョ体型は意外と少ない。F1レーサーのように、ハイスピードが出る乗り物を乗りこなすためには、やはり自分の体重そのものを極限まで落とすことが重要だ。だから、そのようなプロポーションのサーファーは、力の入れどころと抜きどころを知っているので、力一杯腕を振り回したり、ブンブンとボードをふることがない。だから、昨日のような「プアな波」でサーフィンをしたところで、肩で息をして腕が回らなくなることがなくなる。私は、そんなショボ波の時にゼーゼー息をして、最後は砂浜で立てなくなるほどだった。なかなか年齢には抗うことはできないし、湧き上がる食への渇望に対して、全く自制心がない。準備運動で見る下っ腹。ウェットスーツで見事に強調されるポッコリお腹。なんとかしなければならないというのに、ラーメンにチャーシューご飯を平らげた自分の自責の念。飲み終わった後に強い自責の念に襲われる「アルコール依存症患者」と同じような気持ちだった。

-思考力