思考力

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久しぶりに雨が降っている。雨粒も大きめで「しとしと」と音をたてて地面に吸収されている。この時期なので、とても冷たい雨。寒さの後押し。今日は、じつに冷えている。会社勤めの人たちにとっては、災難極まりない雨。たいていの「安眠BGM」には、雨の音がノミネートされているわけだから、このサウンドの中で出社準備をするというのは、かなりの重労働。加えて、3連休が終わり、鬱屈とした気持ちに突き付けられている過酷な選択肢は、緊急事態宣言の中、電車というウィルスの箱に入って行かなければならないという一択のみ。そもそも、今は出社を推奨されていない状況下なのだから、自宅でコーヒーを飲みながら、リモート の準備をしているのが普通なはず。でも、今回のユルイ緊急事態宣言の中では、キツイ出社要請に応えなければならない。背けば、赤紙ならぬ「退職届」が郵送されてくるのか。いくらなんでもあんまりひどい。電気代節約で、暖房をかけずにMacのキーボードを叩く私の指もかじかんでいるが、「癒しのBGM」をかけずとも、「しとしと」と音が聴こえるので、精神的には安定している。

私のかつてのメールアドレスは、雨の音を連想させるアルファベットと数字にしていた。個人情報漏洩のため、伏字にしておくが「ame410410410」という配列にしてメールのやり取りをしていた。とても気に入っていたメールアドレスだったのだが、母親以外は、さほどのインパクトは無かった。それでは何故、このようなメアドを思いついたのかというと、なかなか深い思いが詰まっている。

私が、人生で精神的に重いダメージを喰らって、耐え忍んでいた頃、しわがれた私の心に、かろうじて「感情」を抱かせてくれた詩人の影響だった。旧サイトのブログで綴っているので、そろそろ復活する記事になるのだが、改めて少し記しておく。

とにかく繊細な詩を描く人で、文字の配列が「絵」になって表現されているようだった。例えば、「あいうえお」という文字があったとしよう。小学生だって読める。ただ、「視えない」のだ。いや、逆だ。観る人が「見る」と「視えて」しまう。私は、超常現象などは信じないのだが、その詩人の詩の中に秘められた「重い」「思い」に馳せられた、読み手に対しての「想い」を感じる。大袈裟ではなく、余りにも苦しくなって、最後の行まで読むのをためらってしまう詩もある中で、最後まで読まなければ、今後の人生の中で文字を見る事ができなくなってしまうのではないかという気持ちで、漁るように読了し続けた「時期」もあった。感動に支払わねばならぬ対価は、お金ではない。その詩人が考えていることが、仮に読者に対しての「救い」なのであれば、喜んで「それ」を受け取って感謝しなければならないと思っていた。パソコンの電源がオンになるのに、コーヒー一杯作れる時間がかかるような時代。ワインのボトルが、次々と床に転がり、握り締めたマウスも、赤ワインの染みが取れていない状態で眠りこける。

時代は、あらゆる事象の速度を上げたが、雨の音色は変わらない。もし、無意識の中であっても、雨の音が変わったと認識してしまうなら、加速度を増した時代の不要な情報をいち早く取りのぞくべき時。雨の音色は、あせりを薄くにじませる。それが奏でる音にまかせて、自分の気持ちと向き合う。そこに、打算的な気持ちなどは一切含まれないのだ。

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