思考力

戦争人間

「睡眠」に関する研究が、どんどん進んでいる。あらゆる仕事術の中でも、睡眠不足に減る弊害が出てしまうことは、いうまでもなく、作業効率が悪くなれば、出来上がる産物のクオリティーも低くなってしまう。だから、睡眠時間を削ってまで、何かタスクを行おうとするのは、非効率極まりない。いくら、集中力を上げるBGMを聴きながら仕事や勉強をしても、体調がよくなるサプリを服用していても、やはり、脳ミソがグッタリしている状態では、なすべき仕事には効果が出てこない。

ここまで重要な「睡眠」に関する研究も、やはり細分化され、その研究者によって考え方に若干の相違も見られ、睡眠不足を補う「裏技」や、8時間程度の睡眠は「不十分」であるとか、「十分」であるとか。とにかく、食事などに関しても同じではあるのだが、その人それぞれにおいて「体質」というものがあり、漢方薬がいいのか西洋医学の薬がいいのかは、個々人の判断となる。

ただ、どんな研究結果であっても、根本となる「NG行為」は共通している。人間は夜行性ではないから、夜更かしは厳禁とか、寝る前にブルーライトを浴びてはダメとか、夜遅くの食事などは、睡眠に悪影響を与えるから控えるなどは共通して判明している。それを分かってはいつつ、昨晩は、昼寝を3時間以上してしまったので、しっかり眠れるか不安になり「寝酒」という悪い行いをして、しっかりと「バチ」が当たった。赤ワインが体の中で「マラソン」をし、尿となってゴールインする。だから、赤ワイン選手のフィールドになっている私は、夜中に何度も「トイレ休憩」を挟んで、浅い眠りにフワフワとしながら、赤ワイン選手全員が放出された時間は、正午ギリギリ。いつも、早朝覚醒に悩まされていた私は、喜んでいいのかどうか分からないが、今日の目覚めの悪さが、精神的に悪い影響を与えていることは否めない。

 

昨日、宮城県で大きな地震があり、私の家も、多少の揺れに反応した。新型コロナウィルスに対する政府の会見は、二転三転するが、実際に起きてしまった地震という事実は、決して変わらない。最新のLIVE気象情報は、非常に正確であり、現在の天候を実際の映像で嘘偽りなく報道している。誰かが、日本のアカデミー賞を受賞したという事実も明らかな情報として掴むことができる。だから、実際に目に見えて起こっていることには、疑いの余地はない。では、睡眠障害のように、何が原因であるのか分からない人間の身体のメカニズムや、人によっては、急激に老け込んでしまうのかに対する明確な解決策は出ないのであろうか。

理系の通信技術が発達していることは、事実であり、AIの発達の速度が急ピッチで加速していることは、ご周知の通り。それに伴って、医学が急速な勢いで進歩し、睡眠障害や身体のメカニズム、現時点では「不治の病」だと思われている病気であっても、やがて根治できる時代が来る。これは間違いない。ここまで猛威を振るっている「コロナ」に対し、かなりの有効性を持つといわれるワクチンが、急ピッチで開発されているということからも、やはり、医学の進歩そのものが、日々進歩していることがわかる。

では、人間を取り巻く人間関係や、心の痛みなどの可視化できない状況や環境が改善されていくのかと言われれば、それは“No”だ。AIが発達すればするほど、仕事を奪われる人間は増加するわけで、「格差社会」の広がりを止めることもまた、不可能となる。つまり、科学の急速な進歩と、一定の人間が受ける急激なダメージは、表裏一体の「諸刃の剣」と言えよう。

よく、「いじめ問題」で論争となる「虐められる側」にも問題があるか否かという論争。これに関しては、昨日のブログで書いたのであるが、命を断つことを選びかけた被害者の私が、いつも明確に答えられない問題でもある。「やめてくれ!」というクラクションを鳴らせずに我慢に我慢を重ねていた自分が悪かったのか、気づいていながら巻き添えを食いたくないから見て見ぬふりをしていた周囲が悪かったのか、やはり「加害者」が悪いのか。もちろん「加害者」が悪いのは当然ではあるが、それが「100%」という過失割合なのだろうか。

世の中に「絶対」と言い切れることは存在するのだろうか。「人は必ず死ぬ」「死でも生き返る」「悪い奴が勝つ」「正直者がバカを見ない」。医学が進歩し、AIが人間を支配するような時代がやってきたときに、「キン肉マン」に出てくる「ウォーズマン」のように、人類のほとんどが、半分ロボットで半分人間のような「超人」になるかもしれない。宗教的な考え方が、実は覆されることのない真理であり、前世と来世と現世で「生まれ変わり」という価値観が“fact”として証明されるかもしれない。そうなってくると、本来「悪」とされるべきことをすればするほど、前世でも現世でも来世でも、地獄ではなく、天国に行けるということが立証されて、今までの道徳的価値観が正反対になるかもしれない。

ただ、太古の大昔から、人間は理性を持ち、全体の幸福をシェアすることを本能的に受け継いでいる。どうしようもない苦しみや挫折、そこから立ち直る過程の中で、素晴らしい人間に助けてもらい、人生がより良い方向へ向かい、自分という存在そのものが、魅力的な世界を創造できる人材となれる。これこそが絶対に信じるべき「真理」なのではないだろうか。やはりこのような考え方をブログで書き綴っているだけでは、自分が全てを悟り切った人間だと誇示していると思われてしまうだけなのだろうか。

最近、“FIRE”のことを、真剣に考えている。“完全FIRE”を目指している時点で自己中心な考えだと思われてしまうのだろうか。私は、それだけは違うと反論する。睡眠時間をガリガリと削って、身を粉にして動くことが「正義」という考えは違う。自分が幸せな状態を知らなければ、相手を幸せにすることなどできないと思う。別に、自分だけが得をしようと考えているわけでは、決してない。「預金」をするのか「投資」をするのかは、自分の考えで冷静に決断する。そして、しっかりとした知識を持ち、資産運用をし、貯めた資産を長持ちさせられるようになってでも、なお誰かのために尽くしたいと思えるような仕事に集中して身を捧げたいと思っている。

いつでも傲慢な大富豪の社長気分ではない。いつでも自由な生き方で、いつでも自由に相談に乗ってくれる「職人」を目指して生きて行きたいと思っている。

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