思考力

セピア色の唄

自分を産んでくれて、大切に育ててくれた両親。今、こうやって“Cafe Music”をBGMにして、ブログを書ける幸せを得られたのも、親が私の学生時代に、汗水垂らして得たお金を惜しみなく与えてくれたからこそ得られている贅沢。私の人生に口出しをしなかった母。父は、多少無関心であったとはいえ、私が行きたいと思った塾や予備校に、何不自由なく通わせてくれたし、欲しい物は何だって買ってもらえた。ただ、当時から残念だったことは、ゆっくりと、両親と会話をする時間が、ほとんど取れなかったということだ。

トイレの中で子供を産んで、そのまま殺してしまったという信じがたい事件があったようだが、私の母は、私がお腹にいた頃から私の誕生を待ちわびていた。セピア色の写真の中に写っている母の嬉しそうな顔が、それを物語っている。腰を据えて話をする時間がないほど、多忙な生活。同級生が放課後に一緒になって遊ぶ約束をしている時、「お前は学童クラブだからムリだよな」と皮肉まじりに言われたショックは、今でも拭い去ることができない。

中一の時に、酷いイジメに遭い、相談する人がおらず、「命の電話」に何度も電話をかけて大泣きしながら相談していた。当時、「命の電話」の存在を知っている人など、ほとんどいない時代だった。なかなかつながらない電話に、何度も何度も黒電話のダイアルを回していた。「面白い漫画があって、その主人公のようにボクシングをやりたい」。そういう私に、母は、ジムの会費を出してくれた。父は、ボクシングは脳を痛めるという理由で反対はしていたが、そのことを葉挿し合う時間はなかった。

私としては、もっとボクシングをやろうと言っている子供の気持ちの原因を知ってもらいたかっただけだったなのかもしれない。ただ、ひとつ確実なことといえば、私の為に日々仕事をしている母に、絶対に迷惑をかけてはいけないということだけであった。困っていること、悩んでいること。これらに対して、ずっと平静を保っていることは、普通の人であれば難しいのかもしれないが、私にとってみれば、母の困った顔を見ることの方が辛いことであった。

寂しかった自分に、もっと関心をもって欲しかったけど、気づいているのかどうかはわからないが、母にだけは心配をかけたくはなかった。学校が休みのときは、心の底から不安が取り除かれ、毎週末、「サザエさん」が終わったあたりで、以上なほどの不安に襲われる。月曜の朝は、母のいないところでストレスのあまり、嘔吐していた。

正直、今でも自分に危害を与えた人間たちを許せるほどの人間的器を、私は持ち合わせていない。むしろ、私は眠る前に、過去の「トラウマ」が頭の中で駆け巡って深夜に布団の中で、メラメラと怒りが吹き出して眠れなくなることがある。薬を服用していなければ、毎晩大声を上げて狂っているに違いない。試験直前になると、人間は集中力が上がり短期記憶の勉強が捗るものだが、思春期にジリジリと脳の側頭部にへばりついてしまった、悪いニンゲンの顔も、長期記憶としてシッカリと残ってしまう。

ただ、今では、そんなことは水に流してしまう他はないと思うようにしている。「時間」という、どんなにお金を持っている人でも取り戻せない「資産」を、わざわざ過去の怒りの記憶を引っ張り出すことに浪費していても、前向きな成果は決して得られないのだから。それならば、社会のトレンドを読み、今後確実に定年が伸びていく時代を迎える日本で、いかに健康な体を手に入れられるかを、しっかりと考え、株や債券のポートフォリオを分析して、確実な資産運用をしながら、自分の未来を開拓していった方がいい。

今、私が欲しい物は、自由な時間と最低限の生活資金。奥さん子供はいなくとも、内面に確実に存在している自分と向き合える時間を大切にしたい。自分と向き合う余裕がないほど、仕事に忙殺されたくはない。親と語り合う時間がなかった為、自分がどのように動くべきかが見えなかった。自分の命を投げ捨てて、ひっそりと命を断つことも考えていた。でも、そんツライ過去を経験したからこそ、今、自分は自分を取り巻いている環境や世界を、自分の知識で正確に考察できている。悪い人生というのを自分なりに定義するのであれば、やはり過去を引きずるがあまり、「現在」という取り戻せない貴重な財産を垂れ流しにしてしまうことであり、それによって「歪んだ生き方」をしてしまうこと。そればかりは避けなければならない。

私が生まれたての頃の写真の中、私を抱き抱えて微笑んでいる。私が初めて二本の本の足で歩けるようになった時の母の嬉しそうな顔も収まっている写真もあった。口の両側が、軽く上がって優しい目をしている。そんな写真を眺めていれば、多くの悪い人間に虐められ、不可解な命令を受け続けていた自分が、自分の中に自分を押し殺していた時間を、もう既に時効だと割り切れる。卑劣なニンゲンの悪行への怒りを思い出す時間を徴収されてはいけない。自分が「悪モノ」になって、知らぬ間に誰かを泣かせるようなことをしてはいけない。やはり、全ては「時効」なのだ。

全世界に分散的に投資をするが如く、今の自分には自由な選択肢の中から多くを選べる状態にいる。最新の天気予報が外れることもあるけど、自分の中で自分の辛い気持ちを耐え凌ぐことができた自分が、アップダウンの世の中の波の上を、今までの経験を基に、優雅にシンクロして進むことが、きっとできると確信している。

そんな前向きな生き方を、語らずとも与えてくれた親に育ててもらえた。だから、両親には感謝の気持ちでいっぱいだ。ありがとう。

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