思考力

春遠からじ声

今日も、長く寝た。昨日のブログ通り、積極的に眠ることで、心の奥底に沈殿している毒素を絞り出す。YouTubeで、10時間程度のヒーリングミュージックを流し続け、目が覚めると「8時間」程度経過している。そこからさらに、10時間程度の癒しの音楽を流して目を覚ませば、再生時間は「5時間程度」になっている。合計すれば、「12時間睡眠」を見事に達成している。

教育業界という職種の会社員として働き、そこから抜けた後、時間的縛りがない。その日の体調次第で、やるべき活動を決められるし、誰からの指図をされることもない平和な日々を過ごしている。カネはないが、とりあえず生活できているわけで、別に誰かに遠慮して生きていくこともあるまい。塾業界が、今後衰退していくことは避けられないと思っているし、古い体勢で粘っている塾が、バタバタと倒産していくことは明らか。明治時代から変わらない授業スタイルを継続していれば、いざコロナ禍に入って変化を強いられ、その変化にすら抗おうとすれば、それは単なる自虐行為にすぎず、あとは悲惨な末路しか残らない。

話は逸れるが、新海誠監督の映画を、YouTubeで2本観た。『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』。この映画についての感想は、後日、別の記事でアップしたいと思っているが、『言の葉〜』を観て、涙が出るだけの感動する力は残っているようなので、まだ完全に鬱の谷底に落ちてしまったわけではないようだ。完全に落ちていると、悲しみの感情さえも消え去り、泣くことすらなくなる。こうなってくると、残された感情は、何かを「断ち切る」方向へ向かうばかりになる。もちろん、その「何か」とは、掛け替えの無い「あれ」だ。

昨日、寝室で『秒速〜』を観た後に、リビングにいくと、スマホが振動していた。「スマホ断食」をして、無駄なアプリを消し去り、携帯そのものを寝室からリビングへ隔離しているので、着信に気づいたタイミングとしてはベストだった。発信者の名前が、私の唯一無二の大学時代の親友だった。こんなにもタイミングが合うとは思ってもおらず、新海作品を観た後ということもあり、声高らかに電話を受けることができた。私の持病をよく知っている彼も、私の元気な声に驚いていた。ただ、新海作品を観た後でなくとも、飛び上がって喜ぶような電話だったはずだ。

大学生時代、周囲に馴染めずにいた自分。そんな中で、仲良くなれた彼の存在は貴重であり、私が予備校講師になりたいと淡く思い始めていたときに、彼が同じ考えを持っていたことを知る。彼との出会いがなければ、私の人生は大きく違う方向へ流れていたと言える。そして、今でも予備校業界の第一線で活躍している彼。予備校講師に憧れる人は多いけど、ほとんどの人は志半ばで終わってしまう。大学4年間の自由な時間に、再度、受験問題の解法を研究することは苦しい。やっと解放された受験生活に舞い戻る形となるのだから。

ただ、受験時代の努力を無駄にしたくないと思って、塾講師のアルバイトをする者が多いのも事実。憧れの先生がいて、自分も同じように魅力的な授業をしてみたいという希望を持つ。素晴らしいキッカケだ。ただ、自分の憧れていた先生の授業をするというのは、簡単なようで非常に難しく、経験値もないわけだから、憧れと現実との間で、もがき苦しむこととなる。また、華やかなイメージとは裏腹に、この業界の裏は汚い。アルバイト情報サイトで、一年中募集をかけている塾のほとんどは、講師の定着率が悪いということであり、思い描いていた授業をしながら、大学生活を楽しみ、さらに、お金を稼ぐというには、ほどほど程遠い世界だと気づく。

ここで厄介なことが起こる。「変な正義感」が生まれてしまうことだ。どんなに苦しくても、生徒のことを想い、学力を上げてもらいたいと願うほど、仕事にのめり込み、本来の大学の授業が疎かになる。それでも、自分の生徒の学力向上のことしか考えられなくなるほどの中毒性が、塾講師という仕事にはある。確かに、やりがいがある仕事と言えばそうなのだが、努力というのは、正しい方向を知り、正しい方法を考えなければならない。裏側を知って、幻滅したのであれば、将来の弁別が見えなくなる前に、少し冷静になって、その道の裏側の仕組みを知る余裕を持つべき。本当に、捧げるに値する業界なのか、自分の才能を発揮できる世界が、他にあるのではないかと、時折、考えなければならない。そうしなければ、絶対に関わってはいけない業界に、のめり込んでいるだけの奴隷化した状態の自分にすら気づけなくなってしまう。

私も、受験生の時に影響を受けたカリスマ講師陣に憧れ、大学のキラキラした生活よりも、塾講師の魅力に取り憑かれた。やがて、そこでの失敗から、指の先まで動かせないほどの状態に陥った。追試を受けてギリギリの状態で卒業し、気づけば「就職活動」なるものを経験せぬまま、丸裸で卒業後の人生を考えることとなった。そして、今考えると無謀なことだったのかもしれないが、再度、教育業界へと入っていった。そのキッカケは、やはり大学時代にできた唯一無二の友人だった。

1時間半以上の長電話。久しぶりに人と話す。何気に、言葉が滑らかに出てくる。普段、言葉を発しないが、こうやってブログを綴っていると、細かな表現を言い換えたり、比喩的な言い回しをして文章を装飾していることが活きてくるようで、自分の話が明瞭になっているのが分かった。ただ、話している相手のレベルが高いからという理由も多分にある。そういった意味においても、気の通じる優秀な人とのコミュニケーションというのは、何よりも人生に活気をつける契機だ。やはり、話題のほとんどは、教育に関するものであり、教育業界の裏の動き、講師間の派閥などの情報、これからの受験産業の流れなど、多岐に渡った。

 

人生の好転率や好転スピードを大幅に上げるシンプルな方法があるとすれば、同じような思考を持ち、その思考回路が良好な状態になるような関係を築き上げ合える他者と、付かず離れずの関係でいること。仮に、1週間に一回、同じような長電話をしたり、定期的に会って長話をしていても、昨晩のような実りある会話は、決して成立しなかったはず。会社員を辞めてから、レジャーを楽しむための付き合いを、後回しにするようになった。いや、一切していない。本来なら、そのような付き合いを、もっと増やせるはず時間があるのだが、あえてそうしない。そのような付き合いというのは、ただ刹那的な楽しさしか生み出さないし、後になって虚しさしか残らない。やがて、そのような馴れ合いにも、悪い中毒性が出てくる。だから、くだらない付き合いはキッパリと絶った。

昨日の電話から学んだことは、少なかった。なぜなら、お互いが考えていることが一致していたから。ただ、昨日の電話から気づいたことは、大きかった。確実に、自分と同じように、教育に対して熱意をもっている者がいることを再確認できたから。午後3時に起き、1時間半経過して、このブログを書き上げた。今日も、夜中まで色々なことを考えることになる。ただ、今晩考えることには、後ろ向きな後悔ではなく、今後を見据えたポジティブな志向となる。『言の葉の庭』のサウンドトラックでも聴きながら、ゆっくりと春が近づく夜を満喫しよう。

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