思考力

東京パーキングで滑る

昨日の風は凄まじく、自転車を漕ぐのも危険なほどの突風で、追い風は自分の身体を強く押し、向かい風では自転車から降りなければ前に進めないほど。こんなに強い風を味わったのはいつぐらいだった。世間では、GWとしては、最悪な天候になり、今日も雨が降りつつ、連休明けの気怠い月曜日も雨。それで出社しろと言われても、やはり私には無理だ。もしかすると、この日本の社会に適応できない者が普通であり、逆に社会と自分の間の歯車に収まっている者が、どこかで嘘をついている二枚舌なのかもしれない。これは、自分を正当化しているわけではなく、マスコミの少し盛った情報を抜きにしても、社会に不適合な人の生活のドキュメンタリーなどに多くの賛同コメントが集められていることからもわかる。

一昨日、メルカリで購入したスケボーが届いた。この1年間、自転車しか移動手段がなかったし、その自転車の運転中であっても大怪我をするような自分に、新しい脚ができたのだ。もちろん、スケボーで買い物へ行こうなどと、つゆとも思っていない。家の前でクルクルと旋回するだけ。そしても、もうそれだけで十分なのだ。点を競い合うことに意味はあるのか。禁止場所で自分のしたいことをやっても良いのか。もちろん答えは、ノーだ。自分自身が夢中になって快感を感じる。それが一番良い。ただ、私が一番快感であり嬉しいことは、「お上手ですね」の一言。それで、自分のスケートに興味津々な人を板に乗せてあげると、こんな不安定な乗り物に乗れるとは思われない。ここでの気持ちは、最高に高ぶるものだ。

車を見に行った。小さな中古の軽自動車。ただ、これから東京へ行くことになったら、すぐに手放さなければならない。東京の駐車場代は、千葉の今住んでいるアパートの家賃と同じくらい。ただ車を置かせてあげるだけで大金を手に入れられるのだから、とんでもない不労所得であり、これ以上ないと言えるほどの不動産投資となるであろう。車は、隣の車がうるさいとオーナーに言うわけでもなければ、屋根をつけてくれないと出ていきますとも言わない。こんな都合のいい駐車場の投資というのは、すごい威力を持っていつつ、種銭があればトライする価値が十分にある。

車で現場に行き、ゆっくりと釣りをしたいものだ。自動車を手放してから1年が経過し、派手に二回転んだ私の自転車も、擦れ傷や歪みまで出てきてしまった。ただ、東京で運転することは考えられない。千葉にとどまるか、東京へ帰るか。この両極端な選択肢は、自分にとってとても難しい。しかも、今回の場合は、新しい物件を押さえたり、今のアパートの更新をしないために「時短」してスムーズに処理していかなけれなならない。さて、かなり重要な場面となってしまった。とりあえず、今の運気の流れで言えば、いい方向へことが進むということを信じようではないか。

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